メギド72『メギドラルの悲劇の騎士』について

悲劇とは何か

マスティマ

「おお、ヴァイガルドよ!
私たちの侵略に怯え、
泣いて許しを請う憐れな
ヴィータたちよ!
このマスティマが、
今こそ真実を語ろう!
この世は悲劇だ、すべての命は
その結末へとさ迷いながらも
歩みを止めぬ愚直な犬だ!
行先がどこかもわからず
ただ群れを成して進む
魚の群れなのだ!
さぁ、雷雨の激しさに戦き、
荒れ狂う海に怯え震えるがいい
かようにこの世は悲劇であると…
私は伝えに来たのだ!
この悲劇の騎士マスティマが!」

 『メギドラルの悲劇の騎士』は、複数の「悲劇」が連なる物語だ。まずヴァイガルドに降り立ったマスティマが迷子になり、行き倒れ寸前となったのも「小さな悲劇」と題される。あくまで他愛ないコントだが、より重要な悲劇が直後に語られる。ヨニゲマン一家への暴力だ。

眼つきがヤバい感じの村人
「そりゃあ、あんたは
村の恩人かもしれねぇが…
あんたのその「方法」で…
…子供がいなくなったのは事実だ
子供を奪われた親の収まりが
つくはずねぇんだ
なぜならヨニゲマン、
あんたにも子供はいて、そっちは
無事なままなんだからな!」

 なぜ重要なのか。これがヴェルドレへの暴力をめぐる論理と、近い位相にあるからだ。
 ヴェルドレは、確かに街の対立を解消し、混乱から救い上げたかもしれない。しかし、それと実際に関係したかは別として、女たちは「男の愛」を決定的に喪失し、ヴェルドレは尚もそれを持ち得ながらも、平然と拒んでいる。

 「村」を「街」に、「親」を「女」に、愛する「子供」を「男の愛」に置き換えれば、村人の語りはそのままヴェルドレへの暴力の論理になる。「嫉妬」と別の言い方をするならば、「収まりがつ」かないのである。
 では、マスティマはそれをどう止めたのか。

マスティマ
「待ちたまえ!
「それ以上」は悲劇になる
それゆえに、私が認めない!
(…)恐怖に突き動かされ…
あるいは焦燥にかられ、怒りが、
嫉妬が、閉塞感が、私たちの
「魂」を突き動かす
それを、衝動のままに許すとき
悲劇は生まれるのだ
考えるのだ、ヴィータ
「もし」ヨニゲマンに今、
制裁を加えたあと…
…子供が無事なまま帰ってきたら、
キミたちは彼にどのようにして
責任を取るつもりなのかな?」

 ソロモン王が息子を捜索しているから待て、というのがマスティマの主張だ。
 それに対し、村人が反論する。 

眼つきがヤバい感じの村人
「…あんたの言うことはわかる
俺たちをただ非難するではなく、
尊重しようとしてることも…
…だけど、怒りや悲しみは
理屈じゃないんだ!」

マスティマ
『「わかるとも」
(…)そう、衝動に突き動かされるとき
私たちの行動は「理屈ではない」
私自身それを「よく知っている」
…知っているのだ
その結果、悲劇が大喜びで
関わった者たちに与える「罰」を
(…)後悔』

 つまり、マスティマ自身「衝動に突き動か」され、「罪」を犯し、「後悔」しているという。同じ「悲劇」の経験者として、お前の気持ちは理解出来る、という。

 「悲劇」とは、「恐怖」や「焦燥」や「怒り」や「嫉妬」や「閉塞感」が、「魂」すなわち情念と「衝動」を突き動かした結果、巻き起こる「暴力」である。この「悲劇」の定義は作中で一貫している。ヴェルドレへの暴力は「愛の悲劇」だし、マスティマの悲劇は自殺、すなわち自己への暴力である。
 
 さて、ヴェルドレは、中央議会の騎士によって滅ぼされた、まつわろぬ者の生存者だった。「秘密の古戦場」におけるその影響を、最初から見抜いていたのがアマイモンだ。

アマイモン
「…ズレてるのは、僕も感じます
周囲への影響も含めて、
少し危険な存在な気がしますね」

 この「影響」は、後々まで長く続くものだったはずだ。たとえば同じ旅団に育ったマスティマは、乳牛を「彼」と呼んだとき、農夫に「乳出すから「彼女」ずら」と訂正され、それを素直に受け入れる。

マスティマ
「それは失礼した!
このような身体を得ることは…
…男女の区別を得ること
メギドはそれを知っていながら
その方面には疎くてね」

(それは大事なことだと…
「彼女」も言っていた…)

 「彼女」とはヴェルドレのことであり、踊り手故に自らのヴィータ体の性別を理解するのは重要だったのだろうが、それはマスティマにまで「身体」は「男女」の性差を有するという、純正メギドには特異な認識を与えていた。
 もうひとつ、彼女が下等生物と見ていたヴィータに最初に感銘を受けるのは、案山子を自作したという農夫の造形の能力だ。破壊と戦争に慣れ親しんでいるはずのメギドが、このような創造に興味を寄せるのもまた、特異な描写だろう。軍団内で例えるなら、アルテ・アウローラの面々に近い素質があるはずだ。
 造形はともかくとして、少なくとも性差の認識に関しては、ヴェルドレの影響は間違いなくあっただろう。

 ひとつ、興味深いやり取りがある。

アマイモン
「僕はまつろわぬ者のことが
知りたかったのですが…
それを知ろうとしていることを
知られることが今後の不利益に
なるかもしれませんから」

ヴェルドレ
「うん…うん…
ぐるぐるしててわかんない
知りたかったことを
知ろうとしていることを
知られたくないから…?」

 『メギドラルの悲劇の騎士』は悲劇の物語であり、悲劇とは暴力の果てしない円環である。この「ぐるぐる」は何気ないけれど、物語の主題と形式をさっと言い当てた一語でもある。

 そのヴェルドレの舞とは、どのようなものか。

ヴェルドレ
「ビルドバロック時代から
伝えられてるものなの
メギドがヴィータの姿を
取ったとき、動きを理解する
「型」から進化したらしいわ」

 紡ぎの舞は、そもそも「ペルペトゥムで踊られたメギドを歓迎する踊り」(4話)であり、それが「持ち帰られて、メギドたちに真似されるようにな」り、「ヴィータ体により馴染み上手に身体を動かせるようになる訓練として」転用された。彼女を使い捨てようとした「秘密の古戦場」の訓練が、ヴィータ体への順応を目的としてたのは、いささか皮肉な呼応ではある。

ヴェルドレ
「…踊るのは好きだけど、
誰かが見てくれるのはもっと好き
どうだった?」

アマイモン
「(…)言葉が思いつかない
目が離せなかった、あれは…」

マスティマ
「…「魅力的」だった」

ヴェルドレ
「!!!!」

 まつろわぬ者唯一の生き残りであったヴェルドレの孤独は、体制的な集団において一層深まったはずだ。理解されないと思っていた踊りを、そこで「魅力的」と讃えられたのは、喜ばしい瞬間であったに違いない。

ヴェルドレ
「あんな集団に放り込まれて
もう二度と笑ったりできないと
思ってたわ、「ありがとう」!」

マスティマ
「…「うれしい」」

アマイモン
「…「ありがとう」」

 鍵括弧に囲まれた言葉たちは、「秘密の古戦場」では決して口にされない、不慣れな単語だったのだろう。ヴェルドレは喜びを与えられたことに感謝し、アマイモンは彼女の喜びを喜び、アマイモンは彼女の感謝を感謝する。それが彼らの喜びの円環であり、「遠き情景」だった。
 その関係の終わりは「悲劇」だった。

軍団長
「夜ごとの秘密で親交を深めた
3人が別れなければならんのは、
悲しいことかもしれん
(…)そう、これは「悲劇」だ
(…)どれほど親交を持とうとも、
いつかは別離のときが来る
所詮メギドは1体1種
結局は別の道を進むことになるのだ
そうでなければ「個」を尊ぶべき
メギドとは言えないからな」

 重要なのは、この「悲劇」を導く情念だ。
 マスティマは、旅団長からアマイモンとヴェルドレが二人で脱走したと知らされ、強く動揺する。彼を決闘で昏倒させ、友達だったのではないかと彼女に問い詰められ、激昂する。

マスティマ
「友達だったともっ!!
キミのことも、そうだと
信じていたっ!!
(…)どうして「2人」で」

 つまりマスティマが「悲劇」に直進した衝動は、「嫉妬」や寂しさの入り混じった感情だった。「2人」から置き去りにされた痛みだった。

ヴェルドレ
「…アマイモンが
騎士を目指すあなたに
迷惑はかけたくないって
(…)アマイモンはただ、
「別の視点」を持つ者から
話を聞きたかっただけなのに…!」

 マスティマは沈黙する。彼女を置き去りにするためではなく、友情故にこそアマイモンは二人で旅立った。そのことにも思い至らず、ただ衝動と暴力で友情を破壊した己の行為は、まさしく「悲劇」だった。

マスティマ
「…後悔しているのだ
長いときを経て、ただそれだけを
ゆえに、キミに会いたい
ただキミの踊りが、今はこの世界で
輝いていることをたしかめたい
ヴェルドレ
今ははるか遠き、私の情景
再びそれを目にしたのち…
…私は、私を殺し
この悲劇を最後まで終わらせるのだ」

 こうしてマスティマは軍団内で力を認められたにもかかわらず、ヴェルドレへの執心のために全てを捨て、ヴァイガルドに旅立った。
 似た境遇の経験者が、プルフラスだ。
 マスティマとプルフラスは、共に復讐者だった。ただ、プルフラスの復讐対象はサタナキアという他者であったのに対し、マスティマは彼女自身への復讐、自死こそが目的だった。
 積もり続けた自責、自己への暴力は、最後には自らを殺すことでしか止まられない。
 それがマスティマの悲劇だった。

愛の悲劇、奪われた悲劇

 ヴェルドレの無残な姿に、マスティマは絶望する。踊り続けていると思い込んでいた友が、手足と自由を奪われ、個の核たる舞踏さえ奪われた。それを、知りもしなかった。マスティマには、あまりにも絶望的な帰結だった。
 興味深いのは、次の描写だ。

ヴェルドレ
「…遠い情景を思い出して
…私は後悔しているの
…踊っていたかった
…無心に、ただ
…踊っていたかった」

 それを聞いたマスティマは「やめてくれ」と絶叫する。「遠い情景」を破壊したのも、ヴェルドレから踊りを奪ったのも、すべて自分の引き起こした「悲劇」が原因だ。その無残な事実を突き付けられるのに、耐えられなかった。
 もうひとつ、可能な読みがある。
 振り返ると、この第3話の「奪われた悲劇」という章題は奇妙だ。出来事としては、無残な姿のヴェルドレを発見する程度しかないからだ。
 となると、「悲劇」が「奪われ」た瞬間は、マスティマがヴェルドレの呟きに絶叫したときぐらいしか残らない。

 では悲劇が奪われるとは、どういうことか。
 これはマスティマの言葉だけでは分からない。けれど、別の「悲劇」における叫びを下敷きにすれば、ひとつの意味が浮き上がってくる。
 それは、4話のアンガ婆さんの叫びだ。
 先んじて書くならば、アンガ婆さんとマスティマは、同じように「愛の悲劇」を生き、そして「悲劇」を「奪われ」て慟哭する者たちだ。
 
 マスティマが騎士たり得たのは、その「悲劇」の旅立ち故であり、だからこそ彼女はヴェルドレを数百年に渡って想い続けた。
 こんなやり取りはどうだろうか。

ユフィール
「別のよく似たヴィータの身体から、
「部品」を切り取って移植します」

マスティマ
「殺すのか」

ユフィール
「方法論のひとつとしては
または死体から新鮮な部品を
手に入れる方法もあります」

マスティマ
「(…)私の手足ではダメなのか
問題ないなら提供する」

 ヴィータ体の損壊は死に等しい。ヴェルドレが再び踊るには四肢の全移植が必要だから、これは自分の命と引き換えに彼女を救ってくれ、と請願しているのにも等しい。
 さらりと書かれているが、ここにあるのは無私の愛であり、究極の自己犠牲だ。過去に旅団長から予言された「1体1種」の孤独から、マスティマはとっくに逸れていた。
 そう在れなかった。

 何故ヴェルドレは、破滅の待ち構える街にわざわざ戻ったのか。その答えは結局最後まで物語られないが、推測は出来る。

路地裏の男
「この街にはかつて、2人の男がいた
高潔なる騎士オルパイラーと、
天才策略家トッカルオだ
(…)それが、街を訪れたヴェルドレに
同時に恋をして言い寄ったのさ」

 騎士と策士。マスティマとアマイモンを彷彿とさせる人物が、自分をめぐって対立したのが、何よりヴェルドレには耐え難かったのではないか。マスティマとアマイモンが共にヴェルドレを想い続けていたように、彼女もまた「遠い情景」の友を想い、悔やみ続けていたのではないか。

路地裏の男
「罪悪感を覚えたのか、
それとも親切心からなのか、
殺し合いなんか嫌だったのか…
とにかく彼女は戻ってきた
そしてオルパイラーとトッカルオを
街の大広場まで呼び出した
我も我もと詰めかけた群衆の前で
ヴェルドレは、今度は逃げずに
はっきりとその2人をフッたんだ
たかが女1人で、街の者たちに
殺し合いまでさせることなんていかに
ちいせぇことか、説教もつけてな
(…)…かっけぇよなぁ、
俺は、この話が大好きで
ヴェルドレのファンになったんだ」

 路地裏の男の「罪悪感を覚えたのか」「殺し合いなんか嫌だったのか」という推量は、遺骸にも事態を正確に言い当てていたはずだ(ヴェルドレ自身は、そう語りはしないだろうけれど)。


 4話はアンガ婆さんの絶叫で結ばれる。

アンガ婆さん
「ま…
待つんだよ…
待って…
待っておくれよ!
行かないで…
行かないでおくれぇ!
そいつに逃げられたら、
あたしの人生はなんだったんだい!
憧れだった男は廃人になって
大好きだった姉さんだって
大好きだった男に殺されて
そいつが原因なんだ!
そいつさえいなけりゃ…
(…)ずっと憎んできたんだよ!
それだけがあたしの
人生だったんだ!
素敵なものを奪われたんだ、
そうするしかないだろぉ!?
なのにそれまで…
それまで奪っていかなくたって
いいじゃないか!
もう老いて先もないのに!
今更…
…今更あたしの人生の意味を
目の前から奪っていくなんて
あんまりだよぉ、あんまりだ!」

 マスティマは自らを「悲劇の騎士」と名付け、後悔と罪悪感、そして己への憎悪を生の支えとして生き続けてきた。愛するものが全て失われる、その遠因たるヴェルドレを憎み続けることが老婆の人生の支えであるならば、悲劇を成し遂げた自分を憎み続けることこそが、マスティマの生の、最後の地盤だった。
 自己への憎しみを以て生きるしかなかったマスティマと、他者を憎しみ続けるしかなかったアンガ婆さんは、極めて近い位相で隣り合っている(アンガ婆さんを幻獣から助けるのが、かつての復讐者プルフラスであるのも偶然ではないのだろう)。老婆が老いと人生の終焉を目していたとき、マスティマ自死を考えていた。

アンガ婆さん
「最後までやらせておくれよ!
返しておくれ!
あたしの憎しみを
返しておくれぇぇぇ!!」

 罪を悔いるべきは、ただ自分ひとりだけ。
 そう頑なに思い続けていたマスティマに、ヴェルドレ自身もまた自らの過ちを悔いていたという事実は、あまりにも残酷だった。そしてヴェルドレは、己と罪を分かち合ってくれる心と言葉すら持ち合わせていない。
 アンガ婆さんの言葉を借りるならば、廃屋で慟哭したマスティマの声は、「私の罪を返してくれ」という叫びだったのではないか。
 自分ひとりだけが悪者であれば良かった。
 自己への憎悪が壊れてしまうなら、「私の人生はなんだった」のか。愛していた踊り手は廃人になり、愛していた友は他ならぬ己に殺された。自分さえいなければ、それを憎むことだけが、自分の人生だったはずなのに。それが、「悲劇」が「奪われる」ということではないか。

 もうひとつ、アンガ婆さんとマスティマを結び付けるものがある。それは4話の章題である「愛の悲劇」だ。マスティマは二人の友を愛していた故にこそ、逃亡の「共犯」として選ばれなかった悲しみに突き動かされた。老婆は姉と男を愛していたからこそ、ヴェルドレを生涯憎み続けるしかなかった。
 「愛の悲劇」は、一見ヴェルドレの引き起こした悲劇を指しているように見える。

路地裏の男
「たとえば舞台で踊り始めたら、
もう途中ではやめられないだろ
下手くそだろうと失敗しようと、
とにかく最後までやり遂げる
しかないじゃないか
「それと同じ」さ
いい悪いの話じゃない、
最悪なのがわかってても…
…最後まで、やり遂げる
(…)だからこれは「悲劇」なんだ
ただただ、悲劇でしかない
愛の悲劇、さ」

 しかし、ここで「最後まで、やり遂げる」のはヴェルドレではない。「最悪なのがわかってても」「やり遂げ」るしかなかったのは、愛する者を奪われた女たちだ。
 そして、物語で「愛の悲劇」を引き起こそうとしていたのは、愛する姉と男を失ったアンガ婆さんであり、愛する友を失ったヴェルドレだった。

紡ぎ紡がれる円舞

リリム
マスティマの目的は死ぬこと
(…)マスティマは、最初から…
騎士になってからも…
高潔であろうとすればするほど
かつて自分がしたことを
許せなかった
それが限界に達した頃…
ヴェルドレの生存を知ったの
転生してまだ生きてるって…
アマイモンは死んだと思ってる
だから詫びる相手はもう、
ヴェルドレしかいない
だから執着してる
ヴェルドレだけでも、幸せに
生きていけるって見届けたかった
そのために偏見を持ってた
ヴィータのことさえ、認めた
たとえヴィータでも、踊れればいい
ヴェルドレの個はそれで認められる
そしてそれを見届けて、自分は
死んでアマイモンにも詫びる
(…)それが、マスティマの目的
これまでの行動原理
(…)だけど彼女は…
ヴェルドレを助けることが
まずできなかった
(…)わかったのは彼女が二度と
踊れないということだけ
マスティマは今、宙ぶらりん
後悔しかない、絶望しかない
まともなことも喋れない
ヴェルドレを抱えてただ泣いてる
(…)これが「悲劇の騎士」
これを終わらせてほしいから…
…みんなの前から、逃げたの
さよならを告げるでもなく、
逃げたのは、追ってほしいから
自分が怒りに染まって
ヴィータに復讐するって
疑ってほしかったの」

 「遠い情景」を失った地で、物言わぬヴェルドレを抱いて涙し、最後はヴェルドレの死んだ街で、悲劇の演じ手のように、虐殺の「演技」をする。そうすれば、きっと殺してくれる。
 そんな思惑があったのではないか。

 かつての決闘で、アマイモンはマスティマに敗れた。それは「必死さで、真剣さで、執念で」負けていた。マスティマはこのとき、置き去りにされた苦しみで、既に勝っていた。けれど、アマイモンもまた、己の過ちを悔い続けていた。

リリム
「昔の自分を思い出して…
もっとうまくやれたかも
なんて思わないで
自分を許してあげて
あれは「失敗」なんかじゃないよ
素敵な思い出を…取り戻して」

 マスティマが悲劇を自らの名に刻み、苦しみを反復したのに対し、アマイモンは過去を抑圧し、追憶を自らに禁じた。けれどその抑圧の源泉は、「もっとうまくやれた」という後悔、「自分を許」せない怒りだった。

アマイモン
「僕が考えるに…
…武器を下ろすことで
回避できる悲劇もあるのですよ
このように
(…)そう、決着はつかない
ただ、それは「悲劇ではない」
(…)思いどおりにいかぬ現実を相手に
僕もまた自分がやるだろうことを
「しない」ことで対抗する…
…智ではなく、心ですよ
それもまた、未来を変える
「戦術のひとつ」なのですよ」

 メギドの本性は、戦争への欲望であり、「1体1種」の孤独だ。決闘ならば、相手の命を奪うのが自然な成行だ。けれど、その悲劇、衝動、暴力の連環に対して、「心」をもって「武器を下ろす」。それが悲劇を断ち切る。マスティマと、他ならぬアマイモン自身の罪悪感を断つ。
 それが彼の、もうひとつの「断罪」だった。
 マスティマは友と和解し、「縛られた現実」から解放される。アマイモンもまた、封じていた記憶を取り戻すことを、己に許す。

ソロモン
「…俺は、ソロモン王だ
アンタを助けに…
いや、迎えに来たんだ
(…)迎えに、来れたんだよ
いろんな人たちが、この
「遠き情景」まで紡いでくれたから
(…)最後に俺はただ、指輪っていう
着替えの部屋と、材料になる
フォトンを提供するだけだ」

 『メギドラルの悲劇の騎士』は、実はソロモンの活躍はこれまでの物語と比してそう多くない。彼が謙虚に語る通り、「助けに来た」のではなく、あくまで物語の終着点で「迎えに来た」に過ぎない。

 踊りを愛するリリムが、異界に失われたヴェルドレの魂を再びこの世に迎え直そうとするとき、彼女もまた別のかたちで「紡ぎの舞」を踊っていた。別の言い方をすれば、「いろんな人たち」が知らずして「紡ぎの舞」を重ねていたからこそ、ヴェルドレを愛した男が、舞踏や美貌を失った彼女を世話するよう命じていたから、二代目旅団長が夢見の者にヴェルドレを探させたから、マスティマが生存を知らされたから、夢見のリリィがリリムに助力を求めたから、リリムが複数の夢を渡り歩いたから、アマイモンがミュトスを送り出し、ソロモンがその依頼を受けたから、遠き情景への道が編まれた。

 
 物語は、二代目旅団長の言葉で結ばれる。

旅団長
「…悲劇みたいなのはよ、
許しがたいものなんでな」

 それはマスティマの、「悲劇というものはね、キミ」「許しがたいものなのでね」という言葉と呼応している。
 彼らは共に、ヴェルドレの紡ぎの舞に心を奪われた。ビルドバロック時代、敵味方を問わず魅了する術として研究されていた域まで、果たしてヴェルドレの舞が深化していたかは分からない。しかし、彼らが他者に降りかかる「悲劇」を許せなかったのは、この舞からではないか。

ヴェルドレ
「私は、燃えさかる炎…
形の定まらない揺らぎそのもの…
法則のない躍動…
(…)私は、吹き抜ける風…
時に優しく、時に気まぐれに…
そして…
時には、激しい突風となる!」
(ヴェルドレの章・4章)

 悲劇はマスティマが最初に語ったように、その結末へと」「愚直」に「歩みを止め」ず、「ただ」直進する情念の終着点でしかない。それは仮に踊りになぞらえられるとしても、「途中ではやめられない」「下手くそ」で「失敗し」た(4話)ぎこちなく硬直した足のもつれあいに過ぎない。
 対して、「舞」は「時に優しく、時に気まぐれに」変幻自在な動きとしてある。

 ヴェルドレはただ己の喜びのままに、自由に踊り続ける。
 だからこそマスティマは、再会を喜びながらも、軍団や戦争に縛られることを拒み飛び出していく彼女を、ただ静かに見守っていた。
 
 かつて遠い日々、ひとりの踊りを見守り、そして悲劇から決別しなければならなかった者たちが、同じ踊りのもとで「縁」を繋ぎ直す。『メギドラルの悲劇の騎士』とは、そんなしなやかな、何重もの円舞の物語だったのだろう。