雑記

おもに調べ物のまとめです。

現代文学チュートリアルガチャ

 一年に一度ぐらい、おそらくはもっと低い頻度なので嘘を書いている気もするが、「現代文学ってどこから読めばいいんですか?」と訊かれることがある。私はもっぱら日本の現代小説ばかり読むので、じゃあこんな風に読むのはどうか、という提案は出来る。今回はその話である。

 現代文学と言われて、思い付くのは芥川賞かもしれない。
 なんだかよくわからない、なんで賞を獲得したのかよくわからないような小説(と世間に思われがち)で、アマゾンレビューも散々な評価だったりする。そのわりに何故か芥川賞は半年に一回ニュースになる。聞いたこともないような作家が(だいたいの受賞者は現代文学を読んでいたらわかるのだが)インタビューを受けている。話題にもなる。『美しい顔』とか『百の夜を跳ねて』とか、作者名がぱっと出てこなくても書名は分かる人がいるのではないか。
 
 現代文学は面白いと思う。
 現代文学は、新人賞(もしくはそれに準ずるようなルート)→編集者によるボツとリライトの繰り返し→文芸誌への掲載という、複数のフィルターを通過した作品にのみ贈られるものだ。文学賞受賞作であれば、賞候補へのノミネート→受賞作とさらに選定は厳しくなる。
 だから、現代文学、少なくとも文学賞に選ばれるような作品が、どれもこれも面白くない、ということはまずないはずである。コンテンツ、新ジャンルとしてプレイを始める価値は十分にある。ただし非常に取っつきにくく見えるのは確かだ。だいたい「文学」って何やという感じだ。文学というとき、批評・詩・小説等々あるのだが、「学」という字が付くと、哲学とか人文学とか、そっちを連想するだろう。それも読んだ方が絶対面白いのだが、小説より更に取っ付きにくいので、今回は触れない。

 昔の日本文学を読むのは簡単である。文庫は選別の装置だ。太宰治はどこの本屋にもある。
 読むと格好良くも見える。馬鹿に出来ないことだ。人が本を読み始める動機なんか、それぐらいの格好付けでいいだろうと思う。
 現代文学を読むのは大変である。そもそも本を読むのは、たしかに一般的には面倒なことなのである。芥川龍之介の小説から任意の一作を取り上げて必ず面白いかというと、おそらくそんなことはないはずだが、昔から現在まで読み継がれた文学は、それだけで保証書付きのようなものだ。
 現代文学は、何をどう読めばいいのか、まるで分からない。

 話は変わるけど私はソシャゲが大好きだ。ソシャゲにはチュートリアルがある。ガチャもある。
 だが現代文学にはチュートリアルはない。おそらく「純文学 ブログ」で検索したら湿っぽくてうるさそうなブログばかり出るだろう(残念なことに私もそういうブログを書いている)。しかし逆に、あまりにライト過ぎる紹介も胡散臭い。お前絶対俺のこと馬鹿にしてるだろ、ぐらいの気持ちになる記事もある。私が今やっているソシャゲ(メギド72)は、どうチュートリアルで懇切丁寧に解説しようとしても間違いなく取っつきにくいゲームで、触り始めた当時はあまり攻略記事が発達してなかったのもあり、ゲームシステムを6割程度理解したのは実装済のラストステージまで行ってからであった。それは私がアホ過ぎるからだが、しかし現代文学にはろくなチュートリアルも、最初のガチャもないのだ。
 だがいざ読み始めると凄く面白い。楽しい。
 故に、鼻で笑われて然るべき文章なのだが、現代文学をこんな風に読み始めるのはどうか、という一案である。

 結論から書くなら、頼りになるのは文学賞だ。
 文学は面白い。しかしどれもこれも面白いではチュートリアルにならない。「実装キャラ全員いつでもどこでも強いですよ」の大半は欺瞞である。育成に時間がかかるのではなく、最初から最後まで強いキャラを引きたいように、出来る限り面白い小説=レアリティの高い小説を引き当てたいのは間違いない。だから、良作の選別装置である文学賞受賞作から読んでいったほうがいいに決まっている(SR以上限定ガチャみたいなもんだ)。
 手に入りやすさを考えれば、今年か去年あたりの受賞作を読むのがいいだろう。
 賞の数は多い。よく見る賞の個人的な分類と、一覧を挙げる。受賞作については『文学賞の世界』が見やすい。

【A】大御所作家が受賞することが多い賞
野間文芸賞
谷崎潤一郎賞
【B】大物~中堅の文学賞
泉鏡花文学賞
芸術選奨大臣賞
紫式部文学賞
毎日出版文化賞
読売文学賞
【C】芥川賞とその周辺(新人~中堅)
芥川賞
野間文芸新人賞
三島由紀夫賞
芸術選奨新人賞
織田作之助文学賞

 A群はきわめて手堅い賞である。特に野間文芸賞は、近年の受賞者を見ても堀江敏幸保坂和志笙野頼子橋本治と定番中の定番というような作家の目白押しで、地方の高校生が東京の文学部に来て本格的に読み始めるような作家はだいたいこの賞に入っているだろう。このあたりの作家が好きだったら、ああ、本好きなんだなあ、というような。受賞作はともかく受賞者に外れはまずない。といいつつも私はこの賞の受賞作を読んで外れた例はない。谷崎潤一郎賞も手堅いが、ライトな読み味の小説が多い気もする。その作家のキャリアにおいても淡めの小説という印象が強い。

 B群はA群ほどの手堅さ、言い換えれば保守性はそこまでではないが、キャリアの長い作家が受賞しやすい賞を集めた。毎日出版文化賞読売文学賞は手堅さと新規性のバランスがよく取れていて、多和田葉子村田喜代子川上弘美のような大御所から、松家仁之のような(当時のキャリア的には)気鋭の新人、さらには東山彰良のようなエンタメ寄りの作家も受賞させている。紫式部文学賞は女性作家限定の賞で、近年の受賞者は極めて手堅い。手堅さを求めるならば毎日出版文化賞紫式部文学賞泉鏡花文学賞だろうか。この群の幅は意外に広く、厚みを感じさせるものがある。

 C群は芥川賞を中心とした、新人から中堅の作家が受賞することが多い印象の賞を集めた。賞を取ったからといって作家のレアリティがSRからSSRに格上げされるようなことはないだろうが、「野間文芸新人賞」「三島由紀夫賞」「芥川賞」が三冠と呼ばれるように、この三賞は文芸における若手の気鋭の作家が受賞しやすい賞だろう。その後の芥川賞作家が候補・受賞作に選ばれることも多い賞だ。
 C群から選ぶのなら、芥川賞よりは野間文芸新人賞三島由紀夫賞織田作之助文学賞を読んだほうが安全だろう。芥川賞は番狂わせも度々あるものの、何度か候補作が続いたあとに受賞することも少なからずあり、受賞作より候補作のほうが良いことも珍しくない(村田紗耶香『コンビニ人間』や、今村夏子『むらさきのスカートの女』のような、面白い小説もあるけれど)。
 個人的には芥川賞は作品賞というより実質的な作家賞、功労賞に近くなっている気もする(のを意識しているからこそ、ときどき驚くような受賞結果を導き出してくるのではないかと思いつつも)。ただし芥川賞候補作のチョイスは毎回けっこう挑戦的で、世間の注目を集められそうな小説も必ずひとつは入れるようにしている。運営側の腕前だろう。世間にもっとも近い文学賞、という認識があるのかもしれない。

 当然ながら芥川賞は年間に多くて4人まで選定出来ないのであり、芥川賞を受賞しなかった作家でも推している作家は私にも居る(候補作になった経験はある作家ばかりだが)。ただし、最初のチョイスとしていきなり五大文芸誌(文学賞の候補作になるような、いわゆる純文学の小説が掲載されている文芸誌で、すばる・群像・新潮・文学界・文藝の五つを指す)を読むのは無理があり過ぎる。だから、まず文学賞から読むのがいいと思う。
 
 どの賞から読むべきか。どれから読んでもいいでは放置に等しい。私は題名と作者名、表紙で惹かれたらそれで読めばいいと思う。
 表計算ソフトかノートに賞と作品名と作者名を列挙して、見比べて直感で適当に決めるのがいい。一般人の作品評は当てにならないし、そのための文学賞とも言える。結局は自分で引いて読んでみるしかない。ガチャキャラの性能だって実際に使ってみなくてはわからない。そのほうが良いゲームだと個人的には思うし、現代文学もそういうコンテンツだ。
 知らないソシャゲの最初の引き直しガチャの結果なんか、顔と声と名前で決めるようなものだろう。まして文学はgamewithも攻略サイトを作ってくれないし、リセマラ最強ランキングも非公式攻略wikiもないのである。
 小説の外見は題名と表紙と作者名だ。現代文学チュートリアルガチャもそれでいいと思う。確かにA群とC群に選ばれる作家ではキャリアの差が確実にある。しかし、初期実装キャラと最新実装キャラのどっちが自分がプレイしていて楽しいかなんて分かったものではない。
 だから分類こそしたが、今年か去年のこれらの賞の受賞作を並べてみて、なんとなくで読み始めるのがいい。

 最初に何冊読めばいいだろうか。私は五冊読めばいいと思う。
 日本の文学賞は、繰り返しになるが、新人賞→編集者によるチェック→文芸誌への掲載→賞候補へのノミネート→受賞作という、何重ものフィルターを通過した作品にのみ贈られるものだ。だから、文学賞から三冊から五冊読んで、流石にどれも面白くないということは滅多にないはずである。
 そこで面白い作家に出会えれば、その作家の単行本を図書館で借りて、最初の作品から順々に読んでいくのがいい。個人的にはA群の作家は著作数が多過ぎるだろうから、BかCの作家を選ぶのがいいかなとは思う。もちろんA群の受賞者のうち、他の賞の受賞作だけ読んでいくのもいい。小説の読み方には、文学賞読みとか外国文学読みとか震災文学読みとか、裾野をどんどん広げていく横の読みがあれば、作家ひとりをずっと読み進めていく縦の読みもある。

 私は縦の読み、作家読みのほうが面白いと感じる。ある作家の小説Aを理解するには、その作家の先行する作品が理解の助けになることは大いにあるからだ。作家読みをするということは、作家を推すということだ。芥川賞を獲得すれば作家のレアリティがいきなりSSRになるわけではないが、どんなソシャゲも推しのキャラが居れば、そのキャラの活躍は嬉しい。新しい単行本が出たり、文芸誌に新作が出たり、その作品評を読んだりと、リアルタイムで動きを追うのが楽しい。CSとは異なるソシャゲの楽しさはこのリアルタイム性だろう。その意味では、文学はソシャゲに似ている(かも)。

 小説が分からなければどうだろうか。よくあることだ。分からない小説を面白く読むのは難しい。
 一応は読み終えたほうがいいが、その一冊がダメなら諦めて次の小説に行くのが得策だろう。
 しかし、個人的には、ある小説を一冊読んでその全貌を理解することは本来困難だと思う。作者がその小説を書くまでには、デビュー作や過去の小説の積み重ねがあり、その積み重ねの結果として作品がある(私は作家の最新作はいちばん面白い小説として読むように心がけている)。別の比喩をすれば、前駆症状の積み重ねと進行があって、現在の症状がある。分かるとは意味が分かるということだ。意味とは得てして物事の連続、繰り返し、流れの結果として浮かび上がってくる。分からない小説、意味が掴めないものに対しては、過去作から読むのが比較的成功率の高いアプローチだ。

 たとえば仮想通貨が主題の小説があったとして、嫌な言い方ではあるが、その人の素性も来歴も知らずに読めば「お、流行りに乗ったんだな」という気にしかならないかもしれない(アマゾンレビューにはこの類の文章が溢れている)。
 しかし、過去作を読めば、その作家が仮想通貨という主題を選んだ理由が必然的なものとして浮かび上がってくるのである。それも小説が「分かる」ということだろう。作家のエッセイや評論を読む、必要がない、とは言わない。ただ私は、小説のことは小説の流れで理解したくはなる。
 小説を分かることは面白い。私が小説について取りとめのない感想を書いたり、作家読みをしたがるのは、それが「分かる」に繋がりやすいからである。実際に、小説がまったく分からなかったある作家について、数年後に最初から読み始めたら分かったこともある。

 まず文学賞チュートリアルガチャをしたら、あとは作家ひとりに絞った読みを勧めたい。ソシャゲなら育成に相当するかもしれない。自分のなか、すなわち妄想の作家像の育成、に過ぎないかもしれないけれど。とはいえ最初からまったく分からない小説を読むのは大変だ。
 「分からないが、なんとなく面白い」というぐらいの作家を読み進めるのがいちばん良い気もする。その直感が大切だと思う。

 横の読みはともかく、作家読みは感想をつけると楽しい。お勉強とかではない。単なる遊びでしかない読書でも、なにか真っ当なことをしている気分になれる(バカといえばその通り)。ただこれはコストが大きいだろうから、全員には勧めない。
 とはいえ作家読みをしていて、単行本化された著作の感想を全て書くと、妙な達成感がある。同人誌にしてもいいと思う(した)。
 現代小説には単行本化されない作品も少なからずある。たいていは作家のwikipediaに書誌が掲載されている。単行本化されていない小説に、意外にその後の作品を分かるためのピースが埋まっていたりするから面白い。
 でも、こんなところまで読むようになったら、その人はもう文学のプレイヤーだろう。

 批評はどうだろうか。
 私は批評を読んで良かったと思っている。自分の読みは、間違いなく今まで読んだ批評に寄っている。
 ただ批評をどこから読み始めればいいかというと非常に難しい。小説は読めてしまえばあまり大外れがない気がするのだが(そういう職人的な作家を進んで読む傾きがあるとはいえ)批評には大外れがある。小説のトンデモもあることにはあるが、上手く騙してくれることが多い。批評のトンデモは気付きやすい。小説ならば初期作から順々に読むことを勧めたいがけれど、批評は受賞作、代表作から読んだほうがいいのではないか。
 私は批評を私小説のように読む癖がある、そういう私的な読み方をする批評家が好きだったからに過ぎないのだが、たとえばドストエフスキーのろくな読者でなくとも秋山駿のドストエフスキー論(『神経と夢想』)は突き刺さった。ドストエフスキーの良い読者ならもっと面白く読めたかもしれないが、ドストエフスキーを粘着質に、熱っぽく読んで書く人の文章は、その情熱が面白いのである。
 私がひとまず読んだと言える批評家は秋山駿、山城むつみ福田恒存の三人ぐらいである。柄谷行人小林秀雄も昔よく読んだ。
 批評家は好きな小説を面白く読む術を知っている仕事だ、と思う。読みの深度で面白く出来るのが小説だ。卓抜な読みは、批評の範疇だろう。
 批評を読むのは、小説を楽しむブーストになる。ただし、単行本化される現代作家の批評は、基本的にある主題のもとに現代作家の作品を整理し直す本か(たとえば震災における文学とか)村上春樹大江健三郎といったような、すでに名声の確立したような作家が大半だろう。
 文芸誌に現代作家の作品論・作家論が出ることもあるが、基本的には短いものだ。書評は、図書新聞や、五大文芸誌に掲載されることもあるが、これが非常に見つけにくい。まとめてくれるようなサイトがあればいいなと思うのだが。ひとつ参考にし易いのは文学界の『新人小説月評』というコーナーで、これは前月の文芸誌に掲載された小説の短評が載る(芥川賞を受賞した作家の作品は載せない)。
 文芸誌の作品を読むようになれば、そこを読むのが楽しくなる。

 金を払うべきか。出版不況でこんな風に書くのはどうかと思うが、最初は図書館でいいと思う。
 文学賞受賞作はどこの図書館にも確実に入っているはずだし、最初のガチャはいつでも無料のはずだ。金を払うのはゲームをある程度やり込んでからでいい。つまり、ある作家を好きになって、その最新作の単行本や、それが載った文芸誌に金を払うぐらいでいいんじゃないかと思う。
 日本の図書館は本当にすごくて、文学賞の受賞者や、候補作に選ばれるような作家の著作は取り寄せればすべて読めることがほとんどである。図書館は使い倒すべき施設だ。司書さんの労働環境は本当に良くなってほしい。奇跡的に無料の施設である。オランダは有料だそうだ。
 無料プレイを積み重ねた先に、あなたが本屋で現代作家の小説や文芸誌を買ってくれたら、私はとても嬉しいことだと思う。