メギド72『カカオの森の黒い犬』について

 スコルベノトの告知を見たとき、女装少年の話か、と思った。そうなると予想がつくのは男女の性差(社会的な圧)なんて気にせず、自分の好きな格好をすればいいという流れで、実際スコルベノトのキャラエピはそういうベタな話でもある。ただ、実のところ、イベント本編を読めば、スコルベノトは「女装」からはけっこう遠い位置にある人物である。むしろ「女」の振舞いを装ったのは、スコルベノトではなくバティンだったんじゃないか、というのが今回の結論だ。
 
 バティンについて話す前に、まずはスコルベノトの物語を読んでいこう。
 最初に重要なのはプロローグだ。掃除の巧みさを軍団長ストリガに一応誉められつつも(これはメギドとしては特異な能力だろう)勝手な装飾を千切られた場面に続く、スコルベノトへの叱責である。

軍団長ストリガ
「スコルベノト…
お前、うちの軍団に入ってから
どれぐらい経つ?」

スコルベノト
「さ、3か月ぐらいになりますかね…」

軍団長ストリガ
「その間、お前が挙げた戦果は?」

スコルベノト
「な、なにもないです…!」

軍団長ストリガ
「そうだ、ゼロだ
「非戦期間(バナルマ)」明けの
お前を軍団で受け入れてから――
お前はなにひとつこの軍団…
「ルクス・レギオ」に対して
貢献できてないということだ」

スコルベノト
「ご、ごめんなさい…
だって戦うのは怖いし…」

軍団長ストリガ
「ふざけるんじゃない!
いつまでバナルマ気分なんだ!
しかも戦うのが嫌だと言うから
屋敷の片づけをさせてみれば、
妙な飾りでかえって汚して…」

スコルベノト
「よ、汚すなんて…!
ボクはそのほうがカワイイと
思ったから…!」

軍団長ストリガ
「スコルベノト…
お前がどんな服装をしようが
お前の自由だが…
それを人にまで押し付けようと
するのはよせ!
それは「個」への侮辱だぞ!」

スコルベノト
「ご、ごめんなさい…っ!
でも…そのほうが絶対に…
カワイイから…」
(プロローグ)

 

 スコルベノトはバナルマ明け直後であり、三か月の間、本来求められる軍団への貢献を一切果たしてこなかった。戦闘が嫌だという彼の感性を尊重し、屋敷の掃除に配置転換はしてみたものの、勝手に飾り付けをする始末だ。

 興味深いのは、スコルベノトはストリガに「お前」の「カワイイ」を「人にまで押し付け」ることは、相手の「個」への侮辱である、とはっきり説明されているにもかかわらず、「そのほうが」「絶対に」「カワイイ」と実のところ意見を譲っていないことだ。だから、ここでスコルベノトが謝罪しているのは、他人に「カワイイ」を押し付けたことを反省しているのではなくて、軍団長を怒らせてしまったこと自体に詫びているのであって、説教で何かが変わっているわけではない。
 「絶対」という言葉通り、ここでのスコルベノトの「カワイイ」には相対的な世界はない。ここにあるのは、自分にとって正しい観念は、絶対的に他人にとっても正しく心地よいという、一種の幼さである。

 とはいえ、一応、ストリガもスコノベルトの「個」を汲み切れていない、と言えなくもない。バナルマ明けの戦闘嫌いで、裁縫や農業にも適性のあるスコノベルトを戦わせようとすることも、言ってしまえば「押し付け」には近いのだが、それは彼が軍団に所属している以上、致し方ないルールでもある。スコノベルトはこの時点で、「そんな風には言うけれど、そっちだってお前のルールを押し付けているだけじゃないか」ぐらいの気分にはなっていたかもしれない。
 ただ、ストリガはスコノベルトを見限っているわけではない。

軍団長ストリガ
(持っている能力自体は悪くない
だからこそもっと自信を付ければ
使えるようになるはずなんだ…
そう…プルフラスのように…)
(プロローグ) 

 彼はスコノベルトの資質を実のところ評価し(630号に第1話・4で「見所ノアル若イメギド」と伝えていたように)欠如しているのは単に自信だと想定している。確かにストリガは、プルフラスに「自信」の重要性を教えている(プルフラス・第8話)。彼女の物語で重要なのは、目前の敵に打ち勝ち、サタナキアに敵討ちを果たすため、プルフラスが「女の姿」を捨てることだ。 

プルフラス
「…女の姿だから舐められるんだ
振る舞いも変えなきゃダメだ
今日で私は、生まれ変わるんだ!」
(プルフラス・6話)

 この決意を機に、プルフラスの一人称は「僕」に変わる。
 プルフラスは「女」の姿と振舞いを捨て、強さのために男装を選んだ。アシュレイの敵を討つためにそうせざるを得なかった、とも言える。一方、スコノベルトは最初から最後まで「カワイイ」自分の姿を捨てようとはしない。
 ストリガとスコルベノトの会話から転じて、サタナイルとプルフラスがチョコレートを受け取る場面が続く。思えばサタナイルも、合理的なメギドラルの思考から抜け出すためにヴィータの言葉遣いを真似てみればどうかと、バールゼフォンから「女」の振舞いを教えられた人物である。
 メギドラルにおいて、本来男女の性差というのは然程気にされるものではない。有性生殖でもない種族だから、当然のことだろう。プルフラスは、アシュレイによって本来あり得ない「兄妹関係」を教えられたように、知らず知らずにヴィータの女の振舞いを取り込んでいたのかもしれない。スコルベノトの男性らしからぬ「カワイイ」服装を性差から謗るのはメギドではなく、むしろヴィータである(スコルベノト・3話)。
 とはいえ、性差のない世界でスコルベノトが苦しまなかったわけではない。
 スコルベノトはヴィータの少女・エーコに出会う。エーコに自分の服装を「素敵」と褒められたとき、スコルベノトは思わず涙を流す。

スコルベノト
「う、ううっ…!
(…)ボク、う、嬉しくて…!
メ、メギドラルじゃずっと…
カワイイなんて意味がないとか
くだらないとか言われてたのに…!
そんなに褒めてくれるなんて…
ボク…それだけで…!」
(第02話・1)

 「カワイイ」など「意味がない」「くだらない」と言われ続けたことに、彼が傷付かなかったわけでは決してない。すなわちスコルベノトの問題は、戦争社会であるメギドラルにどうしても馴染めないことであり、「カワイイ」を分かち合う仲間の不在、その孤独である。
 「カワイイ」を理解してくれる人物は、作中ではもうひとり居る。ブエルだ。
 自作のリボンと服装を誉められたスコルベノトが、お礼にブエルへリボンを贈ろうとする場面は、彼にとってエーコと同程度に重要な人物であることを伺わせる。ザガンを自ら盾にして押し出すほど、自己保身が第一だったスコルベノトが、幻獣に襲われたブエルを助けるため飛び出す流れも、同様である。

ブエル
「スコルくんも戦ってくれて
ありがとっ!怖くなかった…?」

スコルベノト
「こ、怖かったです…でも…
カワイイって言ってくれた人が
いなくなると悲しいので…」
(第03話・END)

 村に帰ればカカオ泥棒として殺されるかもしれない、と不安がるスコルベノトに、ソロモンは自分たちの仲間を装えばいい、と提案する。しかし、仲間であることは同時に戦わねばならないことを意味するわけで、スコルベノトはその提案にすら躊躇う(スコルベノトは当然受け入れるべき提案のメリットとデメリットの計算すら出来ない程に幼いのである)。そこでのソロモンの発言が重要だ。

ソロモン
「…今はそれでいいよ
だけどスコルベノトはさっき
ブエルのために戦ってくれたろ?
あんなに戦うことが嫌だって
言ってたのにさ」

スコルベノト
「ブ、ブエルちゃんはボクを
カワイイと言ってくれたので…
む、夢中で…」

ソロモン
「…ありがとう
でもさ、それってもう仲間みたいな
もんじゃないか
(…)俺たちは別になにかを傷付ける
ために戦ってるわけじゃない
守りたいんだ
大切な人とか、大切な場所とか
大切な思いとか…
そのために、誰かを傷付けたり
誰かに傷付けられたりすることが
あったとしても…
守りたいから戦うんだ
悲しいけど、そうしなくちゃ
守れないものってのもあるからさ」
(第03話・END) 

 「カワイイ」と言ってくれたブエルがいなくならないよう戦うのは、守るための戦いに相違ない。たとえ自己中心的であったとしても、それは「大切な人」=ブエルを守るための戦いであり、「大切な思い」=「カワイイ」を守るための戦いなのだから。だから、ここでスコルベノトはソロモンにとって仲間なのだろう。

 洞窟に迷い込んだエーコの救出を最初に提案するのも、他ならぬスコルベノトである。

スコルベノト
「ソ、ソロモンさん…!
た…助けに行きましょう!
(…)エーコちゃんは、ボクの服を
カワイイって言ってくれたんです!
あの子になにかあったら…
ボクをカワイイって言ってくれる
人が減っちゃう…!」
(第03話・END)

 これが無関係な村人なら、この時点のスコルベノトは救出を提案しなかったかもしれない。ただ、たとえ限りなく利己的な理由であろうと、他人のために一歩踏み出す行いは、ソロモンにとっては「仲間」なのだと思う。

 バティンは、ブエルのために飛び出すスコルベノトを見て「意外な行動」「心の底まで腐っているわけではない」と評価を改める(第03話・4)。スコルベノトは黒い犬を裏切った以上メギドラルに戻ることは出来ず、ハルマに見つかったときの面倒を防ぐためにも、身分保護としてソロモンの召喚を受けたほうがいいと説明されたにもかかわらず、なお軍団長に許しを乞うためカカオを密かに収穫しようとするのを、バティンがきつく叱責した、その直後のことである。

バティン
「事実はどうでもいいんです
あなたは今、敵であるはずの
ソロモン王と一緒にいる…
その事実だけで、彼らはあなたが
裏切ったと考えてもおかしくは
ありませんよ
あなたが、私たちに必死で抗う
様子でも見せていれば別ですが…
あなたは無様に命乞いをして
赦しを請いましたしね」

スコルベノト
「そ、そんな…!
じゃあボク…どうしたら…」

バティン
「そんなことは知りません
自分で考えてください
私はあなたの幼護士でも
なんでもないんですから」
(第03話・4)

 自分の立場を説明されたにもかかわらず、なお日和見的にメギドラルへの帰還を目論み、場当たり的に命乞いをし、今後の行動の指針も自ら立てられないことが「腐っ」ている。つまり、バティンが批判しているのは、状況に流され続ける、その自立心の欠落である。スコルベノトがブエルを守るために飛び出したのは、彼が初めて自分の意志を見せた場面でもある。これは第04話・2で、スコルベノトがエーコの悲鳴を聞いて飛び出す場面でも再演される。
 だからバティンは評価を改めるわけだが、バティンからスコルベノトへの辛辣な批判もまた、二度繰り返される。幻獣が村を襲撃したとき、戦うことも逃げ隠れることも出来ないスコルベノトに、バティンが苛立つ場面である。

バティン
「ブエルや村の女の子を守るために
あなたが飛び出していったときは、
少し見直したんですが…
戦いを避けてあちこち移動して
逃げ回るとは…
やはりクズだったんですね」

スコルベノト
「だ、だって…!
ボクなんかががんばっても…
その…足手まといですし…」

バティン
「…だったら貯蔵庫に隠れていたら
どうですか?
正直、戦う気もないくせに戦場を
ウロつかれるのが一番迷惑です」
(第05話・1) 

 スコルベノトが貯蔵庫に隠れていたら、これ程の辛辣な物言いはなかっただろう。ここでも批判されているのは、状況になんとなく流されて戦場に出てきたはいいものの、戦うことも出来ず右往左往している、その自立心の無さである。とはいえ、ブエルや二バスが戦う様子に触発されて、スコルベノトは立ち上がる。

スコルベノト
「みみみみんなを見てたら…
カワイイのに戦ってて…
す、すごいなと思って…
ブ、ブエルちゃんだって…
戦えないのに戦ってて…
そ、それなのにボクだけ逃げてたら
もう二度とあの子にカワイイって
言ってもらえない気がして…
それは、い、嫌なんです…!
ボクなんかのことカワイイって
言ってくれたのに…
その人と胸を張って会えないなんて
そ、それじゃ…嫌なんです…!
だ、だから、あの…
ボク…戦いますっ!
こここ怖いけど…!」
(第05話・2)

 「カワイイのに戦ってて」とあるが、「カワイイ」と「戦う」がスコルベノトのなかで相反する概念かは、ちょっと判断が難しい。というか、スコルベノトにおける「カワイイ」が何かを掴むことは、この物語のなかでは難しい。ヒントになるのは、オリエンスに服装を「カワイイ」と称され、初めて「カワイイ」という概念を知ったときの、その興奮の描き方である。

スコルベノト
(「カワイイ」って言われたとき…
なんかドキドキした…
ボクは「カワイイ」…
ボクが好きなリボンやフリルは
「カワイイ」…)
(スコルベノト・1話)

 スコルベノトはまず「リボンやフリル」や「ヒラヒラ」したものを好んでいる。「リボン」と「フリル」の共通概念として、オリエンスが与えた言葉が「カワイイ」だった(これは、この話を聞かされているべバルとアバラムが「カワイイ」「カッコイイ」をヴィータの子供たちに教えられる場面によく似ている)。そのうえで、更にオリエンスはスコルベノトもまた「カワイイ」と称している。
 スコルベノトが「ドキドキ」した理由を正確に読み解くのは難しい。しかし、自分が魅了される「リボンやフリル」に、自らも「カワイイ」という言葉で繋ぎ合わされたとき、惹かれるものに一体化するような快感を覚えたのかもしれない。
 べバルとアバラム、そしてスコルベノトの「カワイイ」「カッコイイ」は、それぞれ「フワフワ」「カチカチ」(べバル・2話)そして「ヒラヒラ」に対応した語彙となっている。ただ、彼らとスコルベノトの大きな違いは、この憧れの概念との距離の取り方にある。べバルとアバラムは「カワイイ」「カッコイイ」を好みはするが、その服装は取り立てて「フワフワ」でも「カチカチ」でもない。
 一方でスコルベノトは「ヒラヒラ」したリボンやフリルを自ら縫製した服に飾り、「カワイイ」ものとの同一化を図る。だからこそスコルベノトは自分のメギド体が可愛くないことを気にしているのだし(スコルベノト・4話)自分以外の外部を可愛く飾り付け、自分のなかの「カワイイ」に取り込むのかもしれない(でも、これは読み過ぎだと思う)。

 話を戻そう。
 スコルベノトの戦う決意はちょっと複雑なロジックをしている。①「カワイイ」ニバスやブエルが戦っている姿に触発されただけではなく、②理由をつけて戦いから逃げることは「胸を張って」ブエルに会えなくなってしまいそうで、だから戦うのである。
 「ボクだけ逃げてたら/もう二度とあの子にカワイイって言ってもらえない気が」したというのは、ちょっと不思議な論理の繋がりでもある。「カワイイ」というスコルベノトにとっての至上の概念が、ブエルという他者からの承認を得たとき、それは戦う理由になる。
 
 スコルベノトにとって、「戦うことへの怖れ」と「カワイイへの憧れ」がどういう関係にあるのかは、この物語はあまり踏み込もうとはしていない。だからその関係性を掴むことは難しい。でも、スコルベノトのスキルが「カワイイに誓って」である以上は、この「カワイイ」の意味の変遷こそが、彼の物語にとって最も大きな変化だと思う。

 スコルベノトの「カワイイ」は、軍団の何人にも理解されてこなかった。それ故に、と接続していいかは分からないが、更に自分のなかの「カワイイ」に固執し、しかも他人に押し付けるように独善的で、絶対的で、孤独な信仰こそが、「カワイイ」だった(たとえばマルバスの「美しさ」はそもそもカソグサに教えられたものであり、彼女が理解者である)。
 ブエルやエーコという理解者に「カワイイ」と評されたとき、スコルベノトにとっての「カワイイ」は、他人の支えを得て更に強く信じることが出来る信仰になったんじゃないか。ある種の現実逃避、戦いから逃げ続けた末の心の依りどころにも近かっただろう「カワイイ」が、戦う理由に転じたのである。
 スコルベノトの成長、つまりは自立心の獲得を描いたもうひとつ重要な場面がある。それは、チョコレートを食したために瀕死となったロクサーンを前にして、スコルベノトがバティンに治療を懇願する場面である。

スコルベノト
「バ、バティンさん…
黒いワンちゃんさんのこと…
治してあげてくれませんか…?
(…)黒いワンちゃんさん…
悪いヒトじゃ、ないんですよ…
サタン様にカワイがられるために
一生懸命がんばってるだけで…」
(第05話・END)

 バティンはスコルベノトに手痛い治療を加えているし、辛辣な言動も何度か重ねている以上、恐れられていて当然だ。そのバティン相手にスコルベノトが治療を願う自体が、ひとつの成長だろう。
 「カワイイ」と「カワイがられる」が意味するところは別だろうが、スコルベノトが「悪いヒトじゃ、ない」と評するは、ロクサーンが他者(サタン)の承認を得るため「一生懸命がんばって」いるだけだ、というただそれだけに過ぎない(むしろ劇中のロクサーンは、スコルベノトには高圧的な振舞いに出がちである)。ロクサーンもまた黒い犬のなかでは地位の低い「下位ナンバー」であり、自分の価値を認めてもらおうと必死だった。それは、認められた自分の価値を損ねたくない、という新たな思いを得たスコルベノトにとっては、決して自分と遠い感情ではなかった(そしてこれは、軍団内で誰にもカワイイを理解されなかった頃のスコルベノトには、決して得られなかった洞察ではないかと思う)。
 スコルベノトとロクサーンは、ともにひとつの軍団で「下位ナンバー」としての扱いを受け続け、抑圧されてきた者である。
 スコルベノトは下っ端の辛さを知っているし、だからこそこの場面がある。

スコルベノト
「な…泣かないでください…!
折角のリボンが濡れちゃいます
(…)ほら…サタン様の代わりに
ボクが撫でてあげますから…
よしよし…!」
(第05話・END)

 メギドとしての自分の個が失われたことに慟哭するロクサーンに、リボンが濡れることを気にするのは毒のある描写だとも思うが、大切なのはむしろこの「撫でて」あげる場面なのである。この前提にあるのは、エーコに褒められてスコルベノトが流涙したとき、その心情を案じたエーコから「ナデナデ」される場面だ。スコルベノトがロクサーンを撫でられるのは、エーコから自身への気遣いがあり、「頭を撫でられると」「落ち着」く(第02話・1)ことを知っていた故である。
 ここにある認識は、人が他者を思いやれるのは他者に思いやられた経験があってからこそであり、そしてスコルベノトの成長物語は、取りも直さずエーコやブエルという、自身を承認し、安心して心を委ねられる人物が居たからこそだ、というごく素朴な、でもけっこうシビアな見方だと思う。

 このあとロクサーンとスコルベノトは共にクリオロ村に受け容れられ、スコルベノトは630号というナンバーしかない彼に新しい名前を与える。このナンバーと名前という取り合わせは、『守りたいのは、その笑顔』で、ネフィリムが被検体の番号で呼ばれたのにサレオスが激昂する場面を思い出させる。
 思えばネフィリムとスコルベノトは、ちょうどサレオスが怒ったような自己犠牲と自己保身(我が身可愛さという日本語があるが)が主題の人物であり、その意味では対となる二人でもある。彼らは、共に戦いを厭い、自分の服を縫い、装飾に関心を寄せる。一方で二人には、圧倒的な強者と弱者という差異がある。
 ただ、自己犠牲に徹してしまうネフィリムがサレオスに自分を大切にするよう説かれた『守りたいのは、その笑顔』と、自己保身に走ってしまうスコルベノトが、他者のために飛び出し、他者を気遣うことを学ぶ『カカオの森の黒い犬』には、一対の連作のような趣があると思う。

 長々と書いたが、スコルベノトの成長物語は次のように要約出来る。
 それは、戦争社会に馴染めず、半ば現実逃避のように「カワイイ」にすがり付いていたスコルベノトが、エーコとブエルという二人の他者の承認を得て、その「カワイイ」を戦うための「誓い」へ転じさせる物語だ。そして、その環境故に、自己保身のことしか考えられなかったスコルベノトが、エーコに撫でられた経験をもって、かつての自分と同じように涙したロクサーンを気遣い、同じように撫でてやれるまでの物語なのである。

 とはいえ、ここには「女装」の出番は乏しい。そもそも男/女という性差の概念が薄いメギドラルでは、「女装」という概念自体が成立し辛いのである。
 むしろそれを担うのはバティンだ。『カカオの森の黒い犬』の一面がスコルベノトの成長物語であるならば、もう一面はバティンの言動の理由を追う謎解きの物語でもあると思う。
 さて、バティンは美人である。これは作中に書いている。

プルフラス
「相手は名前も知らない人なのに…」
バティン
「そんなことは関係ありませんよ
見た目をきっかけとして他人に
好意を向けるヴィータは大勢います」
(プロローグ)

 バティンのキャラエピは単純な話である。男たちに酒場へ誘われたバティンが、気分転換にやりたい放題をして出ていくだけの話だ。

バティン
「ハァ…どうしてヴィータの街は
いつもこうなんでしょう
のんきで、バカ丸出しで…
見ているだけでめまいがします
その中でもソロモンさんの
バカさ加減は
特に度を越してますし
今日の戦いの最中でも自分の
身の危険を顧みず仲間を
かばったり…
いつものことながら…
思い出しただけで
イライラしてきますね」

男1
「おい、向こうからすっげー
美人がやってくるぞ!」
(バティン・1話)

 バティンの苛立ちは、ソロモンをある程度心配している感情の裏返しとも言えるのだが、ともかくまずヴィータはバティンにとって「バカ」である。

バティン
「ふーん…ヴィータのメスは
繁殖の相手を探すために
こんなところに集うわけですね
(……)あなたたち、下心も丸見えで
欲望もむき出しで…
そんなことでは、
そこの盛りのついたメスぐらいしか
相手してくれる女性はいませんよ」
(バティン・3話)

 バティンは純正メギドのようにヴィータを軽蔑していながらも、同時に「オス/メス」というヴィータの性差を強く意識している。男に殴りかかられそうになったバティンは、「女性相手に手を上げるつもりですか」と自分の女性性をあらためて物語る。メギドであり、ヴィータでもある追放メギド特有の価値観を、特に性の意識において強く持ち合わせているのが、バティンである。今までも「美人」と呼ばれ、「下心」と「欲望」を剥き出しにされたことが少なからずあったのではないかと思う。女性の身体に生まれついた以上、その性や、あるいは「美人」というルックスを嫌でも意識しないわけにはいかないのだろう。
 
 だからこそ、プロローグの「見た目をきっかけとして他人に好意を向けるヴィータは大勢います」があるのだろう。冒頭でのバティンの物言いは「盛りのついたメス」同様に非常にシャープである。二人を当てこすったわけではないが、二人は「見た目」が良いから贈り物を渡された、と言っているも同然である(バティンには一切の悪意はなく、ヴィータはそのような生き物である、という事実を述べているだけだ)。プルフラスとサナタイルがそれに反応することはないが、彼ら、特にサタナイルには「美」の概念はあってもルックスの「美醜」の概念はないかもしれない。二人は自分が「美人」であることも自認していないのだろう。

 バティンは、ヴィータを純正メギドのように軽蔑しているが、女性性・男性性という生物的性差が厳然と存在することを認識しつつ、さらに社会的性差による偏見には嫌悪を示す。たとえば、ソロモンとの、こんなやり取りである。

バティン
「なに1人で俯いてるんですか?
元気がないなら注射でも打ちます?」

ソロモン
「いや、そうじゃないんだ…
ただ男が俺だけだからさ、
しっかりしなきゃと思って…
(…)な、なにその冷たい目…」

バティン
「意外とどうでもいいことに
こだわるんですね、あなたも」
(第01話・1) 

 バティンはこの後、「護衛」は足手まといだから必要がない、とわざわざソロモンに釘を刺す。「あなたも」の「も」が示唆するところは、キャラエピに代表されるようなヴィータの一般的な男達だろう。男ならしっかりしなくてはならないという発想は、バティンには下らないこだわりとしか思えない。スコルベノトが男と知って驚くソロモンとのやり取りでも、同様の場面が繰り返される。

バティン
「驚くほど節穴ですね
その顔にあるのは眼球じゃなくて
ガラス玉かなにかなんですか?」

ソロモン
「いや、だって…!
細いし、小柄だし…
全体的にピンクでフリフリだし…」

バティン
「…なるほど
つまりソロモンさんの中では
「細くて」「小柄で」「ピンク」
なのが女性の象徴なんですね
(…)じゃあ私もピンクでも着ますか
そうすれば、もっと女性として
意識してくれそうですし…」

ソロモン
「ち、違うからっ!
別に細くて小柄でピンクなのが
女性的ってわけじゃなくて…!」
…………」

バティン
「…………」

ソロモン
「(…)いや、なんとなく、その…
偏見で…そういう風に…
思い込んでたかも…ごめん…」

バティン
「偏見の塊の眼球節穴男にはキツい
「治療」が必要かと思いましたが…
認めるなら勘弁してあげましょう」
(第03話・冒頭) 

 「細くて」「小柄で」「ピンク」なのはソロモンの先入観であり、偏見でもあり、それが偏見であることも認められないのであれば、「治療」が必要なものですらある。ここに続く場面も興味深い。

ソロモン
「お、俺の睡眠時間まで
把握してるの!?」

バティン
「…当然でしょう
他の仲間たちは把握しているのに
あなただけ特別だと思うんですか?
意外と自惚れが強いんですね」

ソロモン
「う、自惚れかな、それ…?」
(第03話・冒頭)

 この場面にはいろいろな読みがあり得ると思うが、私はバティンが本当にソロモンを「特別」に思っていたからこそ、「意外と自惚れが強いんですね」というシャープな、しかしソロモンが不思議がるように奇妙な応答に転じていた、と読んでいる。

バルバトス
「ソロモンもたまには女性陣と
話したほうがいいかな、ってね
なんて言うか…「ウブ」だろ、彼
アジトでも大抵、年の近い男どもと
バカ騒ぎするほうを好むしさ
それが悪いわけじゃないし、
本人が女性陣と接するのを望んでる
ってわけじゃないんだけど…
…少し、遠慮があると思うんだよ
同じメギドの仲間同士でも、
女性陣に対してはさ」

バティン
「…なんの遠慮もデリカシーもない
人たちよりはマシだと思いますが?」

バルバトス
「はは…そうかもね
だけど、この先のことを考えれば…
少し女性に慣れてもらったほうが
いいかなって気がしてるのさ」

バティン
「私には余計なお節介のようにしか
思えませんが…
…あなたの気持ちはわかりました」
(第1話・02) 

 バルバトスの「この先」が意味するところは曖昧だが、「仲間同士」の話である以上は、異性との関係を結ぶというよりは、軍団の長として、単純に異性と話し慣れしたほうが良いのではないか、というぐらいの意味合いなのだろう(とはいえソロモンも作戦や事件解決のためなら異性とは平気で話し合うだろうから、バルバトスのこれはちょっと不思議な提案ではあるのだが)。
 とはいえ大事なのは、別にバティンはソロモンが女性に躊躇いを覚えていようが「なんの遠慮もデリカシーもない人たちよりはマシ」なのだと感じているし、バルバトスの発想は「余計なお節介」でしかないとそれとなく諫めている点である。

ソロモン
「(…)バティンはそこまで
甘い物は好きじゃないだろ…?
なのにそこまでするっていうのが
ちょっと意外だなと思って」

バティン
「…そう思いますか?
意外に私のことを理解してくれて
いないのですね
軍団の長が…
そんなことでいいんですか?」
(第01話・4) 

 このバティンの応答は独特だ。

 「私のことを理解してくれていない」のと「軍団の長」としての在り方には関係など大してなくて、チョコレートを欲していることを「意外」と思ったのはサタナイルも変わらない。にもかかわらず「軍団の長がそんなことでいいんですか」とソロモンにだけ不必要な追撃を加えたのは、やはり「私のことを理解してくれていない」のに、それなりの寂しさを覚えた、としか取れない。となると、物語の結末から考えても、バティンはやはりソロモンにチョコレートを渡したくて、だからカカオを求める旅に出たとしか考えられない。

 バティンからソロモンへの想いを描いた、もっとも重要な描写がある。ザガンへの治療を見かねたソロモンが、バティンにそっと言葉をかける場面である。

ソロモン
「あのさ、バティン…治療なんだけど
も、もうちょっとだけ優しく…
できないもんかな…?」

バティン
「…………」

ソロモン
「いつも助かってるけど…
その…みんなが怖がるだろ…?
バティンの治療をさ…
それはバティンにとっても
あんまり良くないことのような
気がして…」
(第04話・END)

 何故あえて痛い治療がバティンにとって「あんまり良くないこと」なのかは、作中では明確には語られていない。ここで彼女が言い返すのは、あえて治療を痛くすれば、進んで怪我をする人数も減るはずだ、という持論である。

 ただ、バティンはそう言い切りながらも、ソロモンの言葉を待たずに「先の様子を見てきます」と理由をつけて、走り去る。ソロモンが(余計なこと言ったかな)と感じる通り、この言葉は、やはりバティンの琴線に触れているのである。
 バティンはメギドラルにおいて、後方支援として負傷者を癒す任についていた。

負傷したメギド
「へ、へへ…しょうがねえだろ
かなり戦況が激しくてよ…
それに、どうせお前が治療して
くれるんだし…いいじゃねえか」

バティン
「…私の治療をアテにして無謀な
戦い方を続けてるんですか?
だとしたら、バカなんですね
(…)後方部隊とはいえ…
私がいるこの場所も戦地なんです
私がいつまでも「生きている」とは
限らないんですよ?」

バティン
(みんなバカですよね
治しても治しても死地に赴いて…
結局、死ぬまで戦って…
ま、律義に治してあげる私も
バカなのかもしれませんが…)
(第04話・END) 

 数限りない戦傷者を癒しながらその死を目の当たりにしたバティンは、彼らを「バカ」と罵りつつも、自分の存在こそが彼らの負傷を招いているのではないか、と感じていたのだろう。それが今現在、メギド72の軍団員としてあえて不必要に手痛い治療をする理由でもある。本質的には、気遣いと慈愛の振舞いだろう。

ソロモン
「いや、ちょっと意外でさ
バティンって結構、他の仲間のこと
見てるんだなって
あまり他人に興味がないタイプかと
勝手に思ってた…」

バティン
「間違ってはいませんね
興味があって見ているわけでは
ありませんから
…看護師としてやるべきことを
やっているだけです」

ソロモン
「あ、そういうことか…
気遣ってくれてるんだな
みんなのこと」
(第03話・冒頭) 

 このソロモンの直球の指摘に対してバティンが言葉で答える場面はないのだが、この段階でソロモンはバティンが気遣いの人であることを見抜いているのである。

 バティンのこの「看護師だから」は、彼の反応を先取りした言い訳でもあると思う。でも、それは「気遣い」の理由には、ならないはずである。「律義に治してあげる」「バカ」だからひたすらに治療をしているのであって、それが嫌なら辞めればいいだけだ。
 では、ソロモンがバティンの手痛い治療は、何故バティンにとってもあまり良くないことと直感的に感じ、かつそれがバティンの精神を揺さぶったのか。これは明瞭には語られていないから、想像で書き補うしかないが、本質的に気遣いと慈愛の人であるバティンにとって、あえて痛みを与えることは、やはり不思議な矛盾だろう。出来ることなら、彼女も余計な痛みを与えることなく、さっさと治療を終えてしまいたいはずだ。そこで「あえて」痛みを与えることは、彼女自身の本質に沿わないし、得にもならない。だから、「あえて」なのである。
 ソロモンが指摘しているのは、そういう地点だと思う。
 ただ、ここで決定的にソロモンが見落としていることがある。

バティン
(それにしてもソロモンさんに
あんなことを言われるとは…)

バティン
「ふふ…!
次の彼の治療は特別に痛くして
あげないといけませんね、これは
考えただけでゾクゾクします…」
(第04話・END) 

 キャラエピでも、バティンはソロモンが自分を理解していることに喜びを覚えていたし、イベント本編で「私のことを理解してくれていない」と感じれば、「軍団の長としてどうなんですか」と不必要にきつい責め方をしている。だから、ソロモンがバティンの本質を見透かすことは、本来的には喜ばしい。

 だから、バティンは笑う。
 しかしソロモンが見落としているのは、その喜びの表現型が、手痛い治療という嗜虐でも表されることだ。これが、バティンの心情を読みにくくしている一因でもある。バティンはソロモンに理解されることは嬉しい。だが嬉しいと同時に、いじめたくもなる。バティンにとって手痛い治療は、怪我人がこれ以上無意味な怪我を重ねないようにするための「あえて」の気遣いでもあるが、しかしこのソロモンへの「特別に痛」い治療とは、一種の好意の表現という気がしてならない。
 バティンはサドなのである。

 バティンのリジェネレイトは、ソロモンがまだ戦いへの恐怖を捨てきれないスコルベノトを庇い、小さな怪我をしたことをきっかけに起きる。

バティン
「(…)…今のは自分から怪我をしに
行ったようなもんでしたね
貧弱なヴィータが自分より強靭な
メギドを守るために傷つくなんて…
バカの極みです」
(第05話・3) 

 メギドと比べて貧弱なはずのソロモンが、メギドを守るために身を張ることも、治したところで繰り返し戦争に出て死に果ててゆく兵士たちも、無駄と分かり切っていて彼らの治療を続けてしまうバティン自身も、皆等しく「バカ」なのに違いない。いずれにせよ、バティンがリジェネレイトするのは、ソロモンが敵を理由に手痛い治療を延期させたからで、「敵がいなくなればいいんですか/そうですか…」という言葉と共にバティンは新たな力を得る。

バティン
「なるほど…
この力で敵を倒せと…
そういうことですか
(…)
いいですよ
あなたを治療できるなら…
いくらでも敵を倒してやります
さっさと「再召喚」してください
すぐに終わらせますから」
(第05話・3) 

 ソロモンの傷は手当も簡単に済む軽傷であって、必要以上に手痛い治療をするのは「自分の立場の重要さ」を理解させる意味もあるのだろうが、やっぱり嗜虐趣味はあると思う。ただ、ザガンが見抜いているように、バティンはソロモンが自分の身を顧みずスコルベノトを庇ったことに「怒って」いるのであり、それはバティン自身がソロモンを大切に想っていなければあり得ない。
 だから、ここでも描かれているのは単純にバティンの好意であり、そこに嗜虐心も伴うために非常にわかりにくくはなっているが、基本的にはソロモンの身を案じてのリジェネレイトである(これは意外とメギドでは珍しいものだろう)。

 では、最後の場面はどうなのか。

バティン
「…これを渡しに来たんです
(…)あなたにはそれなりにお世話に
なっていますからね…
時々バカをしてイラッとしますけど」

ソロモン
「ご、ごめん…」

バティン
「ふふ、いいんですよ
そういうあなたも…
実は嫌いじゃないですし」
(第05話・END) 

 ここまではいい。

バティン
「ところで…どうしてチョコレートが
女性から男性への贈り物として
珍重されているかわかりますか?」

ソロモン
「いや…わかんないけど…」

バティン
「カカオに含まれる成分が…
精力剤になるからですよ
だから男性に贈るんです」

ソロモン
「せ…精力…剤…?」

バティン
「たくさん子作りができるように…ね
(…)ふふ…顔が赤いですね
お熱を測りましょうか?」

ソロモン
「い、いや…いい…大丈夫…」

バティン
「そうですか…
体に変調があればいつでも
言ってください
…それでは」
(第05話・END)

 メギドには、いちばん肝心な場面で、肝心な心情が説明されないときがある。

 たとえば、『君に捧げし大地のソナタ』における、アリキノの心情である。『折れし刃と滅びの運命』で、大洪水が迫る中、わざわざソロモンに敵対することを選ぶアガレスの心境だ。一見これはまったくよくわからない行動なのだが(アガレスはもともとよくわからない人物だ、というのでは私は納得いかなくて、小説の登場人物はある程度論理に従って生きているし、それは私たちだってそのはずだ)散りばめられた要素を繋ぎ合わせれば、なんとなくこうなんじゃないか、という像を浮かび上がらせることが出来る。
 メギドの物語の大半は、断片を読み繋げることがUI上面倒ではあるとはいえ、基本的に書かれている事実を押さえさえすれば、何が書かれているかは分かる。ただ、このアガレスの心境だとか、あるいはこのバティンの発言の理由のように、どうしても読み手が勝手に想像するしかない部分がある。
 だからここから書くことは、まったくもっての空想、妄想である。

 まずここまでの描写を振り返ってみよう。

 ①バティン自身は甘味を大して好まないのであり、チョコレートを買い求めた理由はソロモンに贈るためと推定するのが自然である。

 ②バティンはソロモンが自分の本質を理解していることに好感を覚えていた。同時に、バティンにとって、自分を理解されることは嗜虐心を刺激されることでもあった。ソロモンに対する「手痛い治療」は、彼が自身の身を軽んじることへの怒りもあるだろうが、そこに自身の趣味がないとは言えない。

 ③バティンは、「下心も丸見えで、欲望もむき出し」な男たちを厭う。「美人」として男たちからおそらく繰り返し言い寄られてきた経験があるのだろう。そして女性についても、同様に「盛りのついたメス」と軽蔑している節がある。

 ④バティンは、周囲をよく観察する人物である。だからザガンが攻撃役としても実力を発揮出来ることに気付いているし、ソロモンが「ウブ」であることも以前から知っていただろう(仮に気付いていなかったとしても、バルバトスとの会話で気付いていたはずだ)。

 ⑤とはいえ、バティン自身は彼のそうした「ウブ」さについては、「なんの遠慮もデリカシーもない人たちよりはマシ」として、バルバトスの女慣れしてほしいという発言については、批判はしていないものの、「余計なお節介」だとコメントしている。

 ⑥バティンは、「カカオの薬効」が大したものでないことを知っている(第05話・冒頭)。

 こうして振り返ってみると、バティンのこの発言は、まったく意味がわからないのである。「カカオに含まれる成分が…精力剤になるからですよ」とはいっても、その興奮作用などたかが知れている。「ふふ…顔が赤いですね」「お熱を測りましょうか?」と身体を寄せる行為はまさしくバティンの厭う「盛りのついたメス」の振舞いだし、そもそもこうしたセクシュアルな誘いに、「ウブ」なソロモンが乗るわけがないのは百も承知のはずだ。

 これは私の想像だが、バティンがチョコレートを贈ったのは、「あえて」の試し行為の側面もあったのだと思う。つまり、バティンは精力剤としての作用など乏しいのは重々承知で、あえてそれにつられて男へチョコレートを贈る女の振る舞いをした。「盛りのついたメス」の振舞いをした。それをソロモンが断ることは予想出来たに決まっているから、予想していたうえであえて誘ったとしか言いようがない。それによってむしろバティンは、ソロモンが「ウブ」であること、「なんの遠慮もデリカシーもない人たちよりはマシ」であることを再確認したかったのではないかと思う。

 これは、バルバトスの言うような異性に慣らすための行為ではなく、単純にバティン自身の愉しみ、嗜虐心、欲望であったと思う。何故なら、むしろそのような行為は「余計なお節介」と本人が言い切っているのだから。だが、バティンの行為は「お節介」などという生易しいものではなく、その後のシバとの会話を振り返るに、長く尾を引く劇薬の行いだ。これもバティンが予想しなかったはずがない。だから、これはバティン自身の嗜虐心としか説明の付きようがない。

 まとめよう。この精力剤の発言は、まず次の三つの意味を有していると思う。

①まずは、バティン自身からソロモンへの素直な行為の表明である。これは、チョコレートを買い付ける理由がそもそもソロモンのためでもあるし、本人自身が「嫌いじゃない」と語っているし、そもそも他人に理解されにくい自分の本質を見透かされることに、バティン自身が喜びを覚えているのだから。

②同時にそれは、ひとつの嗜虐でもある。バティンにとっての好意は、純粋な愛情と嗜虐心との二面を持つ。バティンほど聡明な人物であれば、自分の発言がソロモンを動揺させることは絶対に分かり切っているはずである。「ふふ…顔が赤いですね」とバティンは笑うが、これはサディスティックな笑いだと思う。

③第三にそれは、ソロモン自身が「ウブ」であり、自分が軽蔑する「下心も丸見えで、欲望もむき出し」な男たちと同一ではないことの確認であり、一種の試し行為だった。そのために、わざわざチョコレートが精力剤であることを本気で信じ込むような、「バカ」な「盛りのついたメス」の振舞いをした。しかも、自分がわざわざ批判したような、「ピンク」の包装にチョコレートを包んで、である。

 バティンの好意の伝え方は実に奇妙だ。精力剤の話なんかされたら、相手が自分を想っていることの理解より、間違いなく動揺が先立つ。距離だって置かれるだろう。もっと上手いやり方は、バティンならいくらでも思い付いたはずだ。
 でも、個人的には、バティンはそれで良かったんじゃないかと思う。
 今のソロモンとバティンが結ばれることは考え辛い。
 メギド72という軍団はあくまでハルマゲドンという脅威の前に成立しているだけの軍団であって、戦いが終わればソロモンとバティンの距離は今ほど近いものにはならないだろう。今のソロモンは、状況から言っても誰かと男女の仲になれる余裕はないに違いないし、更にはバティンのような年上の女性と付き合う勇気もないだろうし、仮にバティンが迫っても距離を置くだけだろう。ウブであることの再確認だとして、ウブならば尚更ソロモンは自分から遠いのである。
 
 だからこそ、わずかばかりの傷を残したかったんじゃないか。
 わずかじゃないし、倫理的にはとんでもないが。
 ソロモンはこの夕暮れのことを、たぶん一生忘れられないだろう。
 勝手な読みにも程があるが、そんな想像もちょっとしてしまう。

 とはいえ、バティンがソロモンの身を案じているのは間違いない。とりわけソロモンの自己犠牲は、バティンは強い怒りを示す。だからこそ、この物語でソロモンにチョコレートを贈るメギドは、ウェパルとバティンなのだと思う。
 ウェパルこそ、7章3節でソロモンの自己犠牲に「自分を殺さないで」と真っ向から口にした者なのだから。その想いを素直に表出出来るのがウェパルであり、手痛い治療とひねくれた方法でしか伝えられないのがバティンである。
 
 あらためて、『カカオの森の黒い犬』は、ひねくれた物語だと思う。
 それはバティンの突拍子もない発言に、なんら心情の説明をしてくれないのもそうだし、性差の乏しい世界に生まれ、自分が男であることを明かすのに然程の躊躇いと葛藤もないスコルベノトより、あえて「盛りのついたメス」の振舞いを装うバティンのほうが、よほど「女装」しているように見えるのも、やっぱりひねくれている。ごく素直にクリスマスの物語だった『美味礼賛ノ魔宴』に比べて、これはちょっとひねくれ過ぎなぐらいである。そこをメギドらしいと評する気にはちょっとなれないけれど、個人的には味の濃い、忘れ難い物語だった、というのは最後に書いておきたい。