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東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』読売文学賞を受賞した最高に切ないBL

 東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』は2018年の読売文学賞受賞作で、しっかりした文学賞なのですが、選考委員に腐女子でもいたのか? ってぐらいオタクのツボを完璧に突いた超良質の泣けるメリバBLなので紹介します。
 とにかく49歳直木賞作家おじさんの腐女子の才能がすごい。
 文章はかなり読み易いので、300ページ以上はありますが1-2日で読めると思います。
 被虐待ショタ、義兄弟、同性間の重い情念が好きなオタクにもオススメ。
 ただし本作はミステリ的要素を少量ですが含んでおり、中盤でのあるどんでん返しが小説の勘所のひとつだったりするので、そういうのが気になる人は全部は読まないほうがいいです。

僕が殺した人と僕を殺した人

僕が殺した人と僕を殺した人

 物語が始まるのは2018年のアメリカ、デトロイト。少年を7人殺したアジア系アメリカ人の連続殺人犯「サックマン」が逮捕され、極刑はまず免れない中、同じく東洋系の国際弁護士「わたし」が弁護に向かいます。
 「わたし」は敏腕弁護士なのですが、なぜ彼が絶望的な裁判を引き受けたのか、というのは後で明かされます。
 同時に進行するのは1984年、台北の十三歳の少年、漫画の大好きな優等生「ぼく」ことユンの語りです。「ぼく」の兄は若くして事故で死亡し、弁護士である父は鬱病になった母を静養目的でアメリカへ連れていきます。「ぼく」は幼馴染の「アガン」の両親に預けられ、父母の帰りを待ちます。アガンには暴力をためらわない不良の兄弟分「ジェイ」と、弟の「ダーダー」がいます。
 デトロイトの物語は、「わたし」とサックマンの二人。台北の物語は、ユンとアガン、ジェイ、ダーダーの四人の物語です。このうちの誰かがサックマンと「わたし」だというわけです。
 
 アガンの母は父から別の男に乗り換えつつあり、ジェイは義父から虐待を受けています。そんなわけで家庭環境のよろしくない少年たちが暗い時間のなかでワイワイするのが前半部です。ジェイとアガンは優等生である「ぼく」が気にくわずにボコボコにしたりするのですが、互いの傷を感じ取ってか、わりとあっさり仲良くなります。

 ぼくはアガンとジェイと四六時中つるむようになった。ぼくとジェイは仲直りしていた。あれくらいの喧嘩ならジェイにとってはちょっと肩と肩が触れたようなもので、悪かったな、いいさ、で済む話だった。というか、それで済ましてやろうという気にさせられる屈託のなさが、ジェイにはあった。
 ……ジェイといると、兄の言っていたことがすこしわかるような気がした。細かいことを言ってちゃだめだ、それが男同士の付き合いってやつさ。いったん打ち解けてしまえば、ジェイは遺憾なく大陸の血を発揮した。すなわち仲間の仲間は全員仲間、仲間の敵は全員の敵、というのがぼくたちの掟だった。(p.50)


 義兄弟好きにはたまらないですね。
 ジェイは一度暴力に走ると止まらなくなるヤバい不良ショタですが義に厚く、アホンの母親が水商売務めだったことを馬鹿にした大の男をやりこめたりします。妹が四人の不良に囲まれたときは単身で挑みかかります。

 ぼくたちの声援がとどいたかどうかは知らないが、ジェイは臆することなく戦った。いくら喧嘩が強いといっても、相手が四人もいたんじゃ勝ち目はない。ぶちのめされ、蹴飛ばされ、踏みつけられても、あいつは不倒翁(おきあがりこぼし)みたいに立ち上がった。ついに先生たちが駆けつけ、不良たちが捨て台詞を残して逃げ去ると、妹たちが泣きじゃくなりながらジェイにすがりついた。あいつは顏を腫らし、傍目にも立っているのがやっとのくせに、妹たちの頭や背中を撫でてやった。もしも人生で学ばなければならないものが勇気だとしたら、ジェイは小学校四年生のときにはすでに免許皆伝の域だった。(p.71)


 イケショタです。アニメ化したらたぶん細谷佳正田村睦心が声当てると思います。
 あるいは「ぼく」は、人形師であるジェイの祖父が神に奉納する人形劇をする直前で熱射病で倒れたとき、咄嗟に自分がやると言い出したりします。

 アガンがぼくを脇にひっぱっていった。「なんだよ『冷星風雲』って? おれらにできるわけねえだろ!」
「いや、やるんだ」
「布袋劇のことなんか、なんにも知らねえだろうかず」
「それでもやるんだ」
「おまえなあ……」
「ジェイのうちはこれだけで食ってるんだろ?」
「そりゃそうだけど!」
「ぼくたちがやらなきゃ、あいつはまた親父に殴られるかもしれない」
(p.58)


 義兄弟は最高ですね。この「冷星風雲」というのは中学生で『AKIRA』が大好きな「ぼく」の創作ファンタジーで、兄をヴィランに殺された少年が敵討ちに挑む、という話です。ちなみにジェイは『AKIRA』では鉄雄に例えられます。救急車に祖父と乗り込んだジェイをよそに、ぼくとアガンは無事場をしのぎ切ることに成功します。

 数日後、ジェイに誘われて龍山寺に参った。
 ぼくたちは關帝炉に香を立てて合掌した。ぼくとジェイとアガンはそれぞれ劉備関羽張飛になったつもりで『三国志』の桃園結義の真似事をした。「我ら三人、同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せんことを願わん」という例のあれだ。
 義が結ばれると、ぼくたちは顏を見あわせてにやにや笑った。(p.62)


 義兄弟は最高ですね。ぼく、ジェイ、アガン兄弟の四人は台北で流行していたブレイクダンス(映画の「ブレイクダンス」によるブームでした)にはまったり、そのために一緒にナイキのスパイクを盗んだりして友情を深めます。
 あとブレイクダンスを人前で踊ったらレイプされかけたりします。

 新公園と紅樓のあたりが同性愛者のたまり場だということは知っていたけれど、同性愛がなんなのかはよく知らなかった。大人たちからはとにかく紅樓に近づくなと言われていたので、ぼくたちはいっぱしの大人になったつもりで敢えてそこを晴れ舞台に決めたのだった。
 ……ぎくしゃくとロボットになりきっていたぼくは、見物人の輪がだんだん狭まってくることに気づかなかった。で、気がついたときにはもうダーダーが敵の手に落ちていた。
 赤煉瓦の壁に押しつけられたダーダーは、棒みたいに身を固くして男たちにあちこち撫でられていた。あまりにも信じ難いその光景に、ぼくはガソリンが切れたロボットみたいに動きを止めてしまった。目はダーダーのベルトをはずそうとする男たちに釘付けだったが、それはアガンとジェイもおなじだった。ぼくたちは指をくわえてダーダーを見殺しにしていた。
 お尻をむんずと摑まれて、ぼくはぴょんっと跳び上がってしまった。ふりむくと、鳥打帽をかぶった男が金歯を見せてにやりと笑った。台湾語でなにか言われ、まったく聞き取れなかったけれど、全身に鳥肌が立った。
「幹(くそ)!」ジェイがべつの男を蹴りのけていた。「なんだ、こいつら!?」
「林立建!」アガンが弟の名を叫んだ。「こっちに来い!」
(……)
「くそったれ!」四方八方からのびてくる手をジェイが払いのける。「おれに触るんじゃねえ!」
(p.81)


 いくら1984年のスラムでも本当にこんなところあるのかよって感じですが、商業BLだったらありそうな展開なので、たぶんそういうことなんだと思います。ダーダー含めてみんな無事に逃げ延びます。
 義兄弟が最高なのですが兄弟も最高で、アガンはダーダーのことをウザがってはいますがクソ好きだったりします。ダーダーが見慣れぬ時計(母の浮気相手で、後に兄弟の義父になる男からの贈り物です)をつけているのを見たアガンは、彼が盗みをしたと勘違いしてブチ切れます。

「盗んだんだな、この野郎!」アガンはぼくを撥ねのけてダーダーに掴みかかった。「いいか、おれが悪いことをするのはおれが馬鹿だからだ」
 ダーダーは体をよじって逃れようとしたけど、アガンの力は強かった。
「だけど、おまえはちがう」
「は、放せよ――」
「おまえは頭がいい」
 ダーダーの目に涙がふくらんでいく。
「おれの真似なんかすんな」弟を突き放すまえにアガンはそう言った。「今度ものを盗んだらぶっ殺すからな、わかったか」
(p.89)

 兄弟も最高ですね。
 さてそんな仲良し義兄弟三人の関係が変わるときが来ます。ブレイクダンスで盛り上がりまくった夏休みの終わりにアガンの母親が蒸発した日に、ぼくは国際電話で両親が帰国してくることを知ります。ぼくは父に頼まれて、ジェイと共に空気の入れ替えのため実家に帰り、マイケル・ジャクソンのPVを見ながらダンスの練習をします。
 ぼくとジェイの関係が決定的に変わるのはその場面です。

 ビデオを何度も巻き戻してマイケルの動きを研究し、自分たちなりに改良を加え、ゾンビのように右肩だけをひょうひょい持ち上げながらポジションを入れかえる練習をした。一時間ほど汗まみれで踊ったあと、ジェイがぼそりと漏らした。
「ふたりだけで練習してても意味ねえよ」
「そうだな」
「アガンとダーダーもいっしょにあわせなきゃ街では踊れねえだろ」
 虚無感に襲われたぼくたちはソファに身を投げ出し、流しっぱなしのビデオをぼんやり眺めた。
 ぼくはアガンの母親とあの男がいっしょにいるところを想像しようとしたけれど、大人の男と女がいったいなにを遊ぶのかは想像もつかなかった。マイケル・ジャクソンのMVが終わり、『閃光』(フラッシュダンス)のMVにかわっていた。黒いレッグウォーマーをつけた女性が、ダンススタジオのなかを自由な小鳥みたいに跳びまわる。何度も見たビデオなのに、いつ見ても彼女のレオタード姿に見とれてしまうのだった。青いスポットライトを浴びたシルエットが背中を反らせ、その素晴らしい肉体に水が勢いよくかかる。それはあのころのぼくが知るもっともエロチックな場面だった。
 と、ジェイの顔が視界をふさぎ、彼の唇がぼくの唇にちょこんと触れた。
 ほんの一瞬だった。
 ジェイはソファに背を戻し、ぼくたちは何事もなかったかのようにテレビを見つづけた。ダンサーの女性がダイヴしてバックスピンに入る。軽快に足踏みをする彼女のお尻が画面いっぱいに躍動していた。
「あっちの女って」粘つく口をどうにか開いた。「尻を出すことに抵抗がないみたいだね」
 ジェイは黙りこくっていた。
 だからぼくも口を閉じて、片脚でくるくるまわる裸同然の女をにらみつけた。女性の自由と露出度は比例しているんだ、と言われているみたいだった。
「なに、いまの?」
 やはり返事はない。
「もう二度とするなよ」
 腹の底からわけのわからない怒りがこみ上げてくる。両親がアメリカから帰ってきて、これからなにもかも上手くいくはずの人生にケチがついたような気がした。
「いいか、二度とだぞ」
 ぼくたちは断固としてテレビに顏をむけていた。
(……)やがてジェイが立ちあがり、ひっそりと帰っていったあとも、ぼくはテレビのまえから動けなかった。
(p.115-117)

 商業BLの1話かよ。ここで「人生にケチがついたような気」がするのは同性愛自体への抵抗感もあったでしょうが、レイプされかけたのを思い出したんでしょう(なのであれは商業BLだからではなくて実に巧みな伏線です)。ぼくはジェイを「なにも言わないのは不公平」「敢えて弁解しないのはこっちを軽く見ているからだ」「ああいうことがあったら非のあるほうが歩み寄るべき」だと憎み、暴行を加えます。商業BLだったらソロで喧嘩して最終的には絆されるところですが、ぼくはアガンと共に暴力を振るいます。初恋の相手に「おまえ、ちんこが吸いたいんだろ!」などと散々に罵られ、わざと喧嘩に負けて号泣するジェイの描写は本書で二番目に泣ける場面です(ここは実際に読んでほしいので引きません)。もっともぼくとジェイは、だからといって友達の関係を解消したりはしません。「このまえはおまえとアガンにやられたからな。これで恨みっこなしだ」と「共謀して喧嘩の理由をすりかえる」ことで、互いに嘘の笑いを交わします。
 商業BLの2話かよ。

 1948年の冬、ジェイが義父の暴行で入院します。普段から虐待を受けていたジェイが入院するほどの暴力を被ったのは、ゲイの大学生と関係していることを父に知られたからでした。
 

「おれたちはガキで、世界はガキの思いどおりになんかならねえんだ」
 かえす言葉がなかった。
 ジェイの存在がひどく遠かった。遠すぎて、いままで一度だって近づいたことなんかないみたいだった。手をのばせば触れることができるほど近いのに、それはなにものも寄せつけない遠さだった。もしかすると、と思った。ジェイが継父に殴られるのは、この遠さのせいなのかもしれない。
 あの夜のことが頭をよぎる。ぼくにキスをしたとき、あのときだけジェイはとても近かった。近すぎて、腹だたしいほどだった。ジェイはぼくに近づこうとした。とんでもなく不器用なやり方で。ぼくになにができただろう? こいつを受容も拒絶もしないやり方が、正しい答えがどこかにあったのだろうか?
(……)アメリカンポップスは終わり、ベッドの上からジェイがおだやかな笑顔をふりむけてきた。
「バレたんだ」
 ぼくとアガンは顏を見あわせた。
「バレた」その声は耳をふさぎたくなるほど静かだった。「あいつにバレちまったんだ」
 なぜだかわからないけれど、大声で泣き叫びたい気持ちになった。自分とあのろくでなしの継父はおなじ穴の貉なのだという気がした。
 そして、唐突に悟った。ジェイはいままた、おっかなびっくりぼくに近づこうとしている。痛めつけられた野良犬のように鼻をひくつかせ、軽蔑や拒絶のにおいを嗅ぎ分けようとしている。ぼくは大人ぶって常識という名のあきらめを説くこともできたし、すべてを時間に委ねてもよかったし、天真爛漫を装ってジェイの相手を根掘り葉掘り尋ねることだってできた。
 だけどそんなことをすれば、ジェイに二度と近づけないのはわかりきっていた。だったら、おれが何度でも悪を斬る。ジェイのおじいさんが日射病でぶっ倒れたとき、布袋劇の人形を無我夢中で操りながら、ぼくの冷星ははっきりとそう言った。おれが斃れても、おれの意志を継ぐ者はかならずあらわれるさ。
 記憶の断片がひとつにつながり、またたく間にストーリーができあがった。冷星のつぎなる敵の武器は固い竹でつくった簫だ。ハーメルンの笛吹きみたいに簫の音色で子供たちをかどわかし、その簫で子供たちを撲殺するから……そうだ、黒簫(ヘイシャオ)と名付けよう!
(p.161-163)


 「もしあの義父をぶっ殺すんなら手を貸すぜ、なあ、アガン」と最初は冗談で言っていたぼくですが、この黒簫の空想を契機に「ほんとに殺すか」と言い出します。アガンは止めに入ります。

「なにか……なにか考えがあるのか、ユン?」
「おい! 本気にするな、ジェイ。ユンは冗談を言っているだけさ」
「そうなのか、ユン……冗談なのか?」
「本気だよ」ぼくは言った。「おまえがその気なら絶対にバレない方法がある」
 彼の目が期待に染まってゆく。
(p.165)

 重要なのはユンが「自分とあのろくでなしの継父はおなじ穴の貉なのだ」と罪悪感を抱いていることです。義理の息子の同性愛を知って暴力を加えたジェイの義父も、抵抗感から暴力を振るった自分も何も変わらない。もうひとつ大切なのは、「だけどそんなことをすれば、ジェイに二度と近づけないのはわかりきっていた」と接近の意思がユンにあることです。もともと弁護士の息子であるユンは、喧嘩の強い不良のジェイに憧れを抱き、「ジェイになりた」(p.265)いほどでした。ユンからジェイへの感情というのは、この他は非常に読み取りづらく書かれているものの、物語の最終盤に、あることをきっかけにアガンがユンをこう責め立てます。

「おまえはジェイに気に入られたかっただけだろ! 気がつかねえとでも思ってたのか? おまえは小学校のころからジェイに憧れてた。言っちまえよ、ジェイにキスされたときもほんとうはまんざらでもなかったんじゃねえのか? おまえは、おまえは――」(P.282)

 三人は占いで殺人計画を実施すべきか試します。
 占いは偶然にも三人揃えて実施すべきという結果を弾き出し、計画が動き出します。


※ここから中盤のどんでん返し、「わたし」と「サックマン」の正体についてのネタバレがあります。


 ここまで読んできた人間なら、まず「わたし」はユン、ジェイが「サックマン」であると自然に考えるところです。ユンは弁護士の息子であり、母には周囲でいちばんの私立高校に行くよう言われている。「サックマン」は少年売春に手を出した過去があると書かれており、同性愛傾向があるのは間違いない。あるいは『AKIRA』になぞらえたとき、ジェイは鉄雄と重ねられているし、暴力の歯止めが利かないところが描写されてもいる。

 実際には「わたし」がジェイで、サックマンがユンに相当します。これが中盤のどんでん返しで、このユンとジェイが入れ替わっているように見える、ということ自体が小説の種であり、哀切さの核であり、極めて良質なBLたらしめている仕掛けです。

 結論から言うと殺人計画は失敗します。毒蛇にジェイの義父を噛ませようという計画を立て、実際に蛇を入手し、廃業状態のアガンの店に隠します。アガン兄弟は母と義父のもとに、父は妻に逃げられた失意から、遠くの友人宅に身を寄せています。計画が頓挫したのは、蛇を隠している間に偶然にも実父が帰宅し、毒蛇に噛まれて死亡しているところをほかならぬアガンとジェイが発見したことでした。動揺し自首しようとするアガンをジェイがひとまず説得し、彼が帰宅します。続けて罪悪感に苦しむジェイに、駆け付けたユンが「計画を立てただけでは罪にならない」「アホンさんの死に責任がないとは言わないけど、刑務所に入るほど重くはない」と説きます。ジェイに語りかけながら、ユンは世話になった「アホンさんの死を他人事のように醒めた目で眺めている自分」を感じます。そしてアガンに連絡を試みますが、電話が通じない中、アガンやジェイとつむることをよく思わない母の愚痴を聞かされたユンは、殺意を抱きます。

果てしなくつづく空っぽの呼出音だけでも充分苛立たしいのに、そこへ母の愚痴が加わると、手あたりしだいにだれかを殺したい気分になった。
 もしかすると、冷星のお兄さんを殺したのはぼくのような人間なのかもしれない。ぼくは邪悪な蛇遣いで、名前は、そうだな、酔蛇(ズイシャア)にしよう。酔蛇がこの世でもっとも憎むもの、それはいつまでも自分を子供扱いする母親だ。(……)受話器を電話にたたきつけると、幸いにして母がぴたりと口を閉じてくれた。そうじゃなければ、受話器を母の顔面にたたきつけていたかもしれない。
 (……)蛍光灯の下に立ち、ぼくが考え出した悪役たちのひとりひとりになりきって、世界中の人間を皆殺しにする方法を考えた。虎眼、流刀、蚕娘娘、黒簫、酔蛇――冷星の敵は六人という設定だから、あとひとりで全員が出そろう。そう思ったら、すこしだけ気分がよくなった。最後のひとりはとびきり強靭で、とびきり残忍で、とびきり賢くしよう。こいつがほかの全員を束ねて、悪の帝国をつくるのだ。
(P.268)


 アガンへの電話が二日通じなかったユンは、「恐怖と不安」から直接彼のマンションを訪ねます。「兄が死んだ翌年に弟まで刑務所に行く破目になったら、母は完全に壊れてしまう」とユンは「神経に障る」「母の金切り声」に感じています。屋上のアガンに自首を控えるよう説得はしますが、ユンは既に失敗を予想していました。「アガンを思いとどまらせること、母を救うこと、自分を護ることがぼくのなかでせめぎあい、殺意によく似たものに練りあげられて」いくのを自覚しながら、ユンはアガンを殺そうと煉瓦で顔面を打ちます。

素早く足を踏み出し、やつの頭を打った。がっくりと片膝をついたアガンの目が恐怖に見開かれる。(……)その太った体は豚のように無様だったけれど、目だけはまだ生きていた。こういう目をしているかぎり、人はたとえ殺されてもけっして負けはしない。
 落ちていたセメント袋をやつの頭にかぶせ、その上から何度も殴りつけると、煉瓦が粉々になった。(……)問題は目だな。素手でアガンを殴りつけながら、そう思った。目さえ見なければ、親友を殴り殺すことだってできるんだ。
(p.286)


 気絶したアガンを屋上から突き落とすはずだったユンは、それを見ていたある人物に突き落とされます。ユンは辛うじて生き残りますが、頭を強打し、二年間の昏睡状態の後、「外傷性脳損傷」から性格の変化を来します。「両親に対して暴力をふるうようになり、母親は鼻を折られた」。両親はユンをひとりアメリカに送り出し、母は空港に駆け付けたアガンとジェイを「ユンはもうもとには戻らない、あんたたちがユンを殺したのよ」と罵ります。
 
 三十年後、アガン兄弟は亡父と同じ牛肉麺店で大成功を収め、ジェイは兵役を終わらせたのち、法律家の道に進み、現在は国際弁護士となり、同性のパートナーを得ています。一方ユンは母親が2008年に病死し、自分の買った男娼の少年に財布を盗まれかけた際に半殺しにし、アメリカの刑務所に収監され、アジア系ギャングの男娼となることで刑務所生活を生き延びます。出所したユンは2011年に衝動的に少年誘拐殺人を犯し、ブレイクダンスの達人」や「台湾の人形師」を装って少年を引き付ける手口で、2015年までに計7人の少年を殺害します。
 遺体はいずれも袋に入れられていました。
 性的暴行があったか、どういったプロセスで殺したか、については記述がありません。
 サックマンの逮捕、そしてその正体がユンであることを知ったアガンは、ジェイに弁護を依頼します。

「ユンのニュースをテレビで観たとき、おれが真っ先になにを思ったかわかるか? ああ、ユンがこんなふうになっちまったのはおれのせいだ、おれのせいでユンがぶっ壊れて、そのせいで罪のないガキどもが殺されちまった。(……)ユンはなりふりかまわずおれを説得しようとしてた。なのに、おれは……(……)ジェイ、おれがユンを殺したのか? おれのせいでユンはああなっちまったのか?
(……)それはわたし自身が何度も自分にぶつけてきた質問だった。
(p.301)


 面会室でユンは弁護士がジェイであることに気付かず、過去の殺人について尋ねられるとこう語ります。

「彼(ジェイ)はどんな子だったんですか?」
「沈杰森のこと? いいやつだったよ。ぼくは彼に憧れていた。ぼくは退屈な優等生だったから、彼みたいな不良少年と友達になれたのが誇らしかった。そういう気持ち、わかるだろ?」
「それで彼の父親を殺してやろうと?」
「自分が彼にふさわしい人間だと証明したかったのかもしれないね」
(p.227)


 ユンはアガンの写真を見せられると共に豹変し、「おまえがヘイシャオ(黒簫)だ」とジェイの首を絞めます。ユンが留置所で書いた漫画には、ジェイと思しき小さな子供の死体と、彼を殴り殺した黒簫が描かれていました。
 ユンは未だにジェイの義父の殺人計画に囚われているわけです。つらい。
 ユンは「虎眼、流刀、蚕娘娘、黒簫、酔蛇」を含めた六人の敵によって兄が殺された、とジェイに語ります。

「それはあなたが殺した少年たちと関係あるんですか?」
「でも、最後のひとりがずっと見つからなかった」
「(……)いまは見つかったということですか?」
「サックマン」
「それはあなたです。あなた自身があなたの六人目の敵なんですか? つまり、あなたのなかにもうひとり別人格がいて、それがあなたの六番目の敵だという解釈ですか?」
「きみはどう思う?」
(……)「そういうこともありえると思います」おまえがTBI(外傷性脳損傷)だということを考えれば、というひと言は呑みこんだ。「わたしを襲ったとき、あなたは『黒簫』と口走っていました」
(……)「意味のないうわ言だよ」
「連続殺人鬼は意味のないうわ言なんて言いませんよ」
(p.254)


 彼は笑います。
「理由があって人を殺すのと、理由がないのに人を殺すのと、なにが違うのかな」
 あなたは理由もなく殺人を犯すような人ではない、とジェイは答えます。
「ぼくのほうに理由があったら、殺された子たちは納得してくれるのかい?」
 答えに窮したジェイに、ユンは耳を近付けてくれ、と言います。監視カメラの向こうの警察官に聞かれないように。首筋を噛まれるのではないかと躊躇しながら、ジェイは耳をユンの口元に近づけます。

 予期していたことが、まったく予期せぬ形で起こった。反応も対処もできなかった。
(……)わたしが身を仰け反らせたのは、彼の唇がわたしの唇に触れたためだった。
(……)口で手をおおったわたしを、彼は車椅子の上で笑いながら見上げていた。
(……)「殺人なんてこの程度のことだよ。きみたちが思うような入り組んだ理由なんてなにもない」
(……)頭に血がのぼって、言葉がもつれた。仕返しのつもりか? そう言いかけて、言葉を呑んだ。そんなはずはない。だとしたら――
(……)「理由なんてないよ。きみを安心させられる理由なんて」
(……)「聞いてくれ、ユン、おれは――」
「でも、もうそんなふうに呼ばないでほしい」彼は言った。「どうか、お願いだから」
(p.256-257)


 30年前のキスと殺人計画を未だに引きずってるジェイくんにこの仕打ちである。 
 警察署を出たジェイは、自分はユンに赦してもらいたがっているのだと考え、罪悪感に打ちひしがれます。どう考えてもユンが相当悪いと思うのですがジェイくんは商業BLの登場人物なので罪悪感に飲み込まれまくりだし、行きずりの男にレイプされようとしたりします。
 商業BLの6話かよ。
 その後ユンに連続殺人の理由を推論して聞かせますが、ユンは「こんなこじつけは聞いたことがない」と答えるのみです。私もこれは読んでいてこじつけだと思ったので、ここには書きません。
 ジェイが、勝ちようのない裁判の弁護を引き受けた理由が、最終盤になってようやく明かされます。

「おれはおまえがあの出来事を思い出す手伝いがしたい。いや、おまえは思い出さなければならない。(……)ひとりぼっちで死ぬな、ユン。(……)おれもアガンもおまえのそばにいてやれない。(……)おまえがおれたちを思い出さないかぎり、おれたちはおまえといっしょにいられないんだ」
(……)わたしたちの無謀な計画のせいでアホンさんは死に、彼はサックマンになった。
(……)「思い出せ、ユン」わたしはほとんど命令していた。「せめて思い出のなかだけでも、おまえと最後まで一緒にいさせてくれ」
(p.306)


 ユンはジェイを思い出した、と最後には言います。
 それが本当かどうかは、文中だけではわかりません。
 ジェイは、「全身全霊で記憶が戻ったふり」だと考えます。

「覚えてるか、ジェイ?」
「なにをだ、ユン?」
「ぼくたちがはじめて会ったときのことさ」
「そんなの、憶えてないよ」
「そうだな、ずいぶんむかしのことだもんな」
 ユンはうなずき、やさしく目を細めた。そして、懐かしい声がわたしの耳にとどく。
「でも、ぼくはよく覚えているよ」
 これから彼といっしょに、長い長い螺旋階段を降りていくことになる。楽園にたどり着けるとは思わない。ただ、いっしょに歩いていく。やがて彼がこの世界から欠けてしまうところまで。
(p.311)

 メリバBLの文体を完璧にトレースする東山彰良さんの腐女子力がすごい。マジで泣けます。
 ユンはそれから少年時代の記憶について語り、ジェイはそれをノートに書き留めていきます。
 2019年にユンは処刑され、ジェイはパートナーからユンが初恋の相手だったんだ、と指摘されます。彼は否定しますが、「もしサックマンがユンくんじゃなくてあの太った子(アガン)だとしても、きみはやっぱり書いたかい?」と問われ、黙ります。小説は、ほぼそこで終わりです。

 この小説の重要な点は、ユンはジェイのことをまんざらでもなく思っていた、という点です。ユンが買っていた男娼は十二歳の少年で、台北時代の年回りとほぼ変わらないのも辛い。もっとも、ジェイはユンがアガンを殺そうとしたのは母親を守るためだったと考えていて、ユンが当時のことを思い出し語りする際もやはり出てくるのは母親です。ただ、これは頭部外傷で記憶が不完全なユンの語りであって、実際どうなのかはわかりません。
 そしてなぜユンが少年たちを殺したのか、はっきりとした理由は作中では分からずじまいです。わかることはユンが殺人計画、あるいはジェイの残像に三十年後も囚われていたこと、それだけです。理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。あるいはこんな状況になったうえで、ジェイへの怒りが幾分かあったのかもしれない。
 しかし、仮に殺人計画が成功していたのであれば、三人はジェイの義父を殺していました。あくまで計画が失敗したのは偶然の故であり、更にユンが転落したのも、もっといえば計画に踏み出したのも三回の占いがたまたまそういう結果になった、というだけです。

 『僕が殺した人と僕を殺した人』という題名はまぎらわしいです(これを書きながらどっちがどっちかよくわからなくなったことが何回かありました)。しかしそう考えると、この題名のまぎらわしさがこの小説の鍵なのです。僕が殺した人と僕を殺した人はまぎらわしく、どちらがどちらであってもおかしくない。「僕」は僕であって「ぼく」と必ずしも同じではない、けれどもまったく違うとはいえない。
 普通に読めば「僕」はユンであり、「僕を殺した人」はアガンとジェイ(と、少なくとも当人たちは思っています)であり、「僕が殺した人」は少年たちでありアガンの父です。
 でも、偶然が掛け違えば、「僕が殺した人」も、「僕を殺した人」も、だれになっていたかはわからない。
 「僕」が「ぼく」=ユンであったか、「わたし」=ジェイであったかも、ひょっとするとわからない。この物語のどんでん返しはジェイではなくユンがサックマンだというミスリードを誘発する仕掛けによって成立していますが、もし偶然がほんの少しでも違えば、サックマンとなっていたのはジェイで、弁護士になっていたのはユンだったかもしれない。というか、弁護士の息子であり、母親がより高い教育を受けさせたがっているユンのほうが、スラムで虐待されているジェイより遥かにその確率は高かったはずです。
 でも、そうはならなかった。
 たまたま偶然こういう物語になっただけで、もしかするとジェイの初恋は叶っていたかもしれない。
 だけどそうはならなかった。単にエンタメとしてどんでん返しがあるだけではなくて、偶然の哀切さを裏付ける仕組みとして、このミスリードは用意されています。この哀しさは、実際に読んでぜひ体験してほしいと思います。

 最後に、サックマンという名前について。少年たちの遺体がsac=袋を被せられた状態で放置されていたのは、袋を被せ、目を見ないようにしてアガンを殴りつけた、という台北でのエピソードに通じます(またその「袋」は作中では蚕の繭とも関連があるのですが、ここでは触れません)。そしてもうひとつ大事なのは、suck=吸う、という意味があることです。そもそもユンが殺人計画を立案したのは、つまりユンが「殺され」サックマンになるきっかけとなったそもそもの始まりは、「おまえ、ちんこが吸いたいんだろ!」とジェイを罵倒した、その罪悪感からでした。

 そんなわけで、東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』は、2018年メリバBLの最高傑作のひとつです。
 アニメ化か映画化でオタクを皆殺しにしてほしいのですが、まずは皆さん小説で殺されてほしい。オススメです。

メギド72『プルフラス・復讐の白百合』感想

 メギド72の六月度イベ『プルフラス・復讐の白百合』の感想です。これ今まででいちばん良かったイベじゃないかなあ。すごいです。メギド72はプレイヤーの声を本当によく拾い上げてくれているソシャゲで、それが非常に細やかなゲーム性の部分で発揮されてくる。具体的には、

 

①まずはデュークのようなレアエネミーのレアドロップ限定高性能SSRオーブについては今回見送り。とはいえインサニティは青龍号に劣らぬ魅力的な性能。

②育成素材用のRオーブについては道中でドロップ。たぶん地獄の犬狩りを踏まえた上での改善点。

③初心者は素材用の餌オーブが足りずになかなかオーブ育成に手を出せなかったけど、RブラブナとSRムタチオンのドロップ率を大きく上げることで対処。育成でのオーブ消費は激しいので初心者以外でも当然嬉しい。

④取得マップが限られている、あるいは頻繁には周回しないマップでドロップするため不足しがちな素材を複数周回が予想されるマップアイテムに設定。ツインハンター狙いの5-3で悪魔の血と聖者の護符、フォレスターおよびエンブリオ狙いのEX-2でプラチナムスター。つまり、周回の本来の狙いではない部分にも旨味を感じさせるデザインが完成されている。

 

 というところでしょうか。『二つの魂を宿した少年』で浮上してきた、あるいはゲーム内で気になりがちな問題を本当にきっちりと解決したイベントデザインで、さすがメギドの製作陣としか言いようがないです。素晴らしいです。しかもその頑張りようが一切押しつけがましくない!

 

 メギドの製作スタッフが何回か言及している改善ポイントとして、メギドはある程度まで進めてしまうとやることがない、という問題点があります。

 確かにメギド72にはシナリオ攻略のほかにキャラ育成とそれに付随する素材集め、オーブ育成、大幻獣狩りといったコンテンツが用意されていて、最初のプレイは「やることが……! やることが多い!」状態(金田一)なのですが、メギドの育成は段々と高速化できるシステムで、一度した苦労は無意味に反復させない仕組みになっています。代表例が攻略チケットで、あるいは星6を数体育成してしまえばVHコンプリートの難易度はぐっと下がる。

 最初のVH突破の興奮は大切にさせつつ、VHクリアで手軽に集められるようになった素材で星6を次々育成させていく。最初は苦労させ、そこからは急速に効率化させる。それ故に、ある程度ゲームが進むと「もうやることがない」ようにも見えてくる(実際にはそういうプレイヤーを飽きさせないためにこそPvPがあり、この段階に至ったプレイヤーならフリーバトルに手を出していそうなものですが)。

 

 あまりにすべてを高速化させてしまうと、ゲームとしての面白みがなくなってしまいます(ゲームの面白さにはある程度の「遅さ」も必要なのかもしれません)。単に石を砕くだけのゲームにならないように、メギドではいくつか早くなりがちなスピードを律速するブレーキが存在しています。たとえばそれはスキップ不可能な大幻獣撃破とEXオーブ育成の道だったり、あるいはイベント周回であったりするわけです。特に前者は「やることがなくて消化しようのないスタミナを一気に消化させる」という役目も果たしていて、なかなか憎い構成です。

 イベントにも大幻獣と同じようなエンドコンテンツを用意しよう。そういう心積もりで設定されたのが『背中合わせの正義』から始まるEXボスのSSRオーブであり、この路線はSSRファミリアン、難易度を跳ね上げたSSRサタニックリブラ、と続いていきます。

 それでも飽き足りないプレイヤーのために、というつもりで用意されたのがおそらく『二つの魂を宿した少年』のSSRデュークでした。 

 『二つの魂を宿した少年』は①シャミハザのポテンシャルを最大限活かせるSSR青龍号を初心者でも手軽に手に入る形式にしつつ、回復面で強力なSSRデュークを中級者以上のエンドコンテンツとして設定する、という仕組みにしています。デュークのドロップ確率の厳しさに苦しめられた人が多数出たのは既知のところであり、また奥義並みの高い回復性能を備えていたのも未入手の無念の想いを強くさせるところでした。ただ、これがもし驚異的なダメージを叩きだすオーブであったら、もっと問題になっていたと思います(入手の難しさもあったでしょうが意外と中級者以上でも使っている人を見かけません)。ここを回復にして様子を見るのは流石の手堅さだし、またいくらあっても嬉しい記憶の欠片を周回の副産物にしたのも嬉しいデザインでした。

 このイベントごとのエンドコンテンツをどう設定するのか、というのがメギド製作陣の現在の課題のように見えます。今回はデュークに相当するレアエネミーのレアドロップは存在せず(ツインハンターがそうかと思ったけど実際には5-3で落ちる)その種のエンドコンテンツはひとまず見送った形になりました。ただ、個人的には死んだ目で猫を探したのも悪くない記憶なので、またいつか同じ方向性のSSRオーブが来ることを楽しみに待っています。

 

 新たなSSRは2種。まず何より目を引くのは連続ダメージ20%以上バフ+自身にスキル2個追加と、ガチャ産かよと言いたくなるSSRインサニティ。一見ミミックと性能が変わらないようですが、特性は連撃ラッシュアタッカーにピッタリで、しかも自身にスキル追加はターゲティングのシステム上何気に便利です。ゼパルの燃えるゴミが増える、ヴィネやラウムの覚醒上げと組み合わせたらおそろしく強そう。あとは、今回新規に追加されたサラに乗せるのも便利そうです。自分にスキルを二つ追加しつつ、実際に点穴を乗せるのは他のメギド……という立ち回りはミミックのターゲティングでは不可能なので、そう考えると意外と器用な立ち回りも出来るオーブです。

 二種の新規SSRのうち、もうひとつはSSRフォレスター。最大HPの2割以上加算はありがたい。20%の回復と10%の攻撃バフよりはそっちが魅力。ただラッシュの最大HP加算をどう捉えるかは難しいところで、個人的にはラッシュアタッカーの耐久は盾役やフリアエ・アムドゥスキアスで耐えるほうが好きです。むしろ、これはサラのように稀有な耐久ラッシュ型のメギドのために用意されたもののように見えます。列回復のないアンドラスでも耐久と回復範囲を同時に強化出来ていいかも。あとはエリゴス。

 SSRについては新規追加メギドのサラを念頭に置きつつ、ゼパルのような既存メギドにも旨味が大きい性能に仕上げた、という印象です。

 シャミハザと青龍号ほど分かりやすくはないけれど、プルフラスの使い方が比較的分かりやすいのに対し補助サポーターのサラはやや扱いが難しいかもしれない。そう考えると、青龍号が帯水+雷攻撃の強力さを教えてくれたように、運営側から「こんな風にサラを使ってみてはどうでしょうか」というメッセージなのかもしれません。フリーバトルでも一人生き残ったサラにインサニティを発動させ、破壊的なダメージを叩きだす場面を見て興奮しました。

 

 SRは2種。SRムタチオンはデバフが強化出来れば楽しかっただろうけど、単体ダメージ強化はSSRドネ未所持なら有難い特性です。単体攻撃アタッカー、ということでプルフラスに持たせるのにちょうど良さそう。カウンターのSRウォールバスターは汎用性の高い防御バフに後列無敵1回と、これもターゲティングのシステム上何気に便利な性能。同じく防御バフ持ちのSSR盾の幻獣体ブニとは綺麗に差別化されていて、咄嗟の範囲攻撃を防御するのに便利そうです。智の番人バラム戦やアバドン戦にも使えるかも。

  RブラブナはRバーデンヴォルフに相当する育成素材オーブですが、今回特にいいなあと思ったのはとにかくSRムタチオンと並んで落ちまくること。ひとつは地獄の犬狩りの反省からの改善でしょうし、あとは課金しないと初心者は餌用のオーブ数が足りずに育成に踏み出にしくい現状に対して、だったらRオーブをたくさん配ってやるよ、というデザインじゃないかと思います。実際メギドのオーブ育成は地味に楽しくて、メギド自体の育成がLv70で終了する以上、育成要素が残るのはオーブのほうです。初心者にも是非このちんまりした楽しさを味わってほしいので、(そしてやっぱり強化したオーブは強いので)こういう取り組みは是非続けてほしいです。

 オーブはサバトで余るようで、実際は育成を始めたら意外と不足してしまうわけで、気軽に餌に使えるオーブが大量にもらえるのは(サバトそこそこ回したつもりですが)個人的にも非常にありがたかったです。バーストもいつか頼む……。

 ブラブナは幻獣の餌のために作られたものらしいので、そのあたりの設定も重なって楽しい。

 Rツインハンターも育成素材オーブですが、ブラブナほどではないけれど5-3を回せば真っ当な確率で落ちる。あまりに簡単に落ち過ぎてしまうとそれはそれで育成の楽しさが無いので、丁度いい塩梅だと感じました。

 他、何気にマップのドロップアイテムについても悪魔の血、聖者の護符、プラチナムスターと取得マップが限られる、あるいは青真珠やゴールドオイルといった重要素材のついでで手に入らず不足しがちなアイテムに着眼したドロップで、非常に細やかな配慮だと思います。

 あと、これはあくまで体感なのですが、エンブリオ幼のドロップ率が上がったように感じています。五個ぐらい落ちてます。

 気のせいかな。気のせいじゃなかったら、これもすごく嬉しいです。

 

 こんなにしっかりと問題点に向き合って毎回イベントのクオリティを上げてくれているのにそれを押し付けてこない慎ましさがすごい。

 あえて改善点を挙げるならば、その細やかさ故に、毎回の進歩がいまひとつ広く周知されていないのがむず痒い。もっとイベントデザインの丁寧さを説明していいじゃないかという気になってくる。でもそのちょっと信じられないような謙虚さがメギドらしいのかもしれない。

 あともうひとつ。これは難しいところだけど、ツインハンターが5-3でドロップするのに気付きにくい構造は気になった。あのイベントの説明文ではツインハンターがデュークの枠に相当すると勘違いしそうなもので、しかもオーブ育成のために果てしなく周回をするプレイヤーだとエンブリオを狙うはずなので、5-3をツインハンターが落ちるまで周回する可能性はかなり低い。サプライズなのかなあとも思うけれども、ちょっとここを上手く気付かせる仕組みが欲しかったな、というのが正直なところです。ただツインハンターをドロップしなくても、交換分のオーブでインサニティとフォレスター1体ずつなら星3に出来たので、それは初心者に対する配慮として非常に良かったと思います(またそれ故に希少オーブという勘違いも深まった節がある)。

 でも、後から誰かが気付いて「えっそうなんだ!」と情報の共有が広がっていくのもソシャゲの醍醐味だろうから、ここは微妙なところ。

 それとアイテム交換所のエンブリオ幼見送りは……あれすごく良かったと思うんですけど、オーブ育成のため延々周回をするプレイヤーだけ有難い要素ではあるので、アイテム全交換の達成感を考えて無しにしたのかな(だとしたらすごく理解はきっちりします)。今回で言えば研究フォトン、ブラブナシロップの余りを何か有効活用出来ないかどうか、については今後も考えていただけると嬉しいです。現状、特に初心者がオーブを★3まで育成するときとかに不足したガルドを一気に貯める手段が乏しいので(財宝クエストはあまりにしょぼい)ゴルド交換とかもいいんじゃないかなあと思います。ゴルドの稼ぎ方が現状コツコツやる以外だとメギドクエストのスタミナ割引キャンペーン+EXクリア前提ぐらいしかないのは、ちょっと初心者にはきつそう。

 以上、本当にあえて挙げるなら、という程度です。

 

 もっぱらゲームデザインの話ばかりになってしまったけれども、イベントストーリーも素晴らしかった。プルフラスの復讐、をめぐる話でありながら同時に親友を奪われたサタナキアの情念をそれとなく描く。プルフラスさえ居なければアシュレイがヴァイガルドへの脱出を図ることもなく、そしてそれ故に死ぬこともなかった。勝手かもしれないけれどサタナキアにだって復讐する資格はあって、さらにそこにソロモンが村の仇を討った過去が重なり合ってくる、という物凄くテクニカルな設定です(でもさらっと読める)。サタナキアの罪悪感をプルフラスはとっくに見抜いていて(このあたり心眼の設定を想起させて楽しい)アシュレイが愛したヴァイガルドを守るための戦いだからこそ、サタナキアが協力するであろうことを理解している。だからといって、何から何までサタナキアのことを許せるわけではない、とアジト台詞でちゃんと描写しているのも素晴らしい。

 配布がプルフラスなのはお前……こんなウケそうなキャラを配布って正気か!?(いつもの)と引きましたが、点穴システムを体験するのが5章1節でベリアルを仲間にしてからではあまりに遅い。始めたてのプレイヤーにも新システムを実際に触れてもらう上ではやはり配布がいちばん正しい選択なんだけど……選択なんだけど……やっぱでも正気じゃない! だからといってサラの性能は初心者にはまず理解されないのでアタッカーを配るしかない! それはそうなんだけども! そうなんだけども! シャミハザのときもそうだったけど!

 サタナキアさんには何卒オタクにガチャを回させていただきたい次第です。あとブラブナのキャラデザが良過ぎるんですけどこれまさか今回のイベントだけで使い捨てるつもりなのか? 大幻獣ブラブナとかない? 色変え再登場するよね! ぜひしてください。

 そんなわけで、非常に満足度の高いイベントでした。『二つの魂を宿した少年』があまりに楽しかったのでこれを超えるイベントはちょっとないんじゃないかと思ったんですけれども、いや、もう本当にすごいとしか言いようがないです。製作スタッフの皆さんは本当にいつもいつもお疲れ様です……5章1節もすごく良かったんだけどちゃんと休んでる!? 大丈夫!? 引き続きメギドくんのこれからが楽しみです。

連想・回想

 昔宇野千代のエッセイで、いつも座っている部屋の窓から外を見て、風景を文章にすれば自然と小説が始まると書いていて、半信半疑で試してみたがまったくうまくいかなかったことがある。筆を温めるというのか、小説は書けば書くほど書きやすくて、前の場面を活用して後ろの場面の駆動力に(要素の再利用、あるいは伏線ともいえる)出来る以上、小説は常に最初がいちばん大変だ。そこを慣れた風景描写から始めてしまえばあとはどうにでもなるということか、とその時は考えていた。その感想は今もあまり変わらないが、ただ最近になって身をもって実感するのは、小説の言葉というのは非常に書くのが面倒だということである。(詩を軽んじているわけではなくて、小説を書く人間には)詩というのはある程度は文法から自由なように見える。あるいは評論というのは存外いい加減な文体から始めても許される節がある(ように見える)。

 

 ただ小説は大抵の場合違っていて、なんだかんだ、誰それが何々をした、という行動の文章を書かなくてはならない。私が言っているのは非常に古臭い小説の一形式であって、世の中にはそういう古いしきたりから逸脱したものがいくらでもあるのだろうが、ともかく小説の文章というのは不自由になりやすい。たとえば自分の机の上について描写しろ、といわれても、これが小説だと面倒くさい。

 赤い紅茶缶、使い終わったまままだ捨てていない牛乳パック、葉の残ったポット、埃のうっすら溜まったキーボード、日曜日に中古で買った弦楽五重奏のCDと、ともかく要素を列挙することは出来る。でもこれを小説の文章にするとなると、「机の上には紅茶缶、……、が並んでいた。」と誰それが何々している式で書かなくてはいけない。これは、おそらく人間の頭に普通でない負担を強いる。少なくとも私が机を見て頭に思うことは、(視覚的イメージなのもあるが)「紅茶缶、牛乳パック、ポット……」という名詞の羅列で現れ出てくる。思考、つまり日常の文体においては、誰それが何々していた形式の文が出る可能性はおそらく私たちが思っているほど高くはない。

 小説の文章は、人間の現在の思考からはかけ離れがちである。

 

 たぶん記憶違いだと思うのだが、川端康成か誰かが、小説の文章修行に、通勤中に目に見えるものすべてを頭の中で小説の文章のように書きなさい、という方法を挙げていた気がする。電車に乗って見えるものすべてを言葉で描写してみるわけだが、これは(宇野千代がそうしたように)①ともかく言葉と外界のものの距離を近付ける練習であり、②「誰々が何々した」式の文章に頭をチューニングする練習である。「何々駅に電車がたどり着くと、真っ青な顔をした人々が汗の臭いをまきちらしながら入ってきた」というような思考は普通しない。

 頭の中でそんな文章を書くようなことは、意識せねばまずありえない。

 

 私は冒頭で人が死んだり居なくなったりするとかなりスムーズに小説が書ける。最近の書き出しをいくつか挙げると「彼女が死んだことを聞かされたのは、六月の終わりだった」とか、「死んでから話し始める奴には、うんざりする」とか、あるいは「ものを失くすのは多いけれど、不思議と鍵は失くさない」で、第一番目のはそのまま人が死ぬ。二番目も勿論死ぬ。三番目はルームメイトに出ていかれる話で、人間の不在である。かつて柄谷行人が人間の死と不在は厳密には区別がつかない、というようなことをどこかで書いていて(武田泰淳論だったかもしれない)これもほんまかいなと思った記憶があるが、ともかく人間が死んだ後や、大切な誰かが不在になった後(たとえば私は一時期人が失踪する小説を書きまくっていた)というのはとにかく小説として書きやすい。死は端的に終わりである。そこから先、現在が未来に向けて新しい何かを追加していく可能性は少ない。

 終わってもうどうもならなくなった後、というのは書きやすいのである。宇野千代の、とにかく目の前にあるものの描写から始めるのは現在から始める書き方だが、物事が終わった、という表明から書き始めるのは現在の断念である。基本的には過去にしか向かない。冒頭で人が死んだり失踪したら、まずもってその人に関する回想に続くのが自然だろう。

 つまり、(なんだか小学生式であるが)小説には現在から始まる文体と、現在を断念し過去に向かう文体の二種類がある。当たり前である。

 

 ところで、今たとえば海について描写する。私は海にいるわけではないので、そうなるとイメージ、というより正確には記憶の海について書くことになる。波打ち際とか貝殻とか、潮騒の音とか、風の湿り気であるとか、海鳥の影とか、犬を連れて砂浜を歩く人とか、遠くに見える漁船とか、そういう要素を列挙するだろう。それは私が直接訪れた海であり、あるいは映画で見た海であり、小説で読んだ海の描写でもあるが、とにかくそういった記憶の蓄積から要素を引っ張り出して、組み合わせていく。その都度思い出している、ともいえる。

 

 言語は今ここにないものについて語ることが出来るが、想像はしばしば連想の組み合わせであり、連想とは回想の組み合わせである(あるいは回想のエラーである)。想像力がそれ即ち記憶を思い出す力とイコールというわけではないが、記憶力、というより回想する力を培うことが想像のそれに繋がる可能性は低くないと思う。小説家の何人が日記好きか私が知るところではないけれども、昔辻邦夫の展覧会で彼の日記を見たとき、その日にあった出来事をすべて回想して書きつけていたのをなんだか怖いなあと感じたことがある。日記は小説を書くうえでひとつの訓練と見なしていいのかもしれない(もちろん彼の歴史小説は膨大な資料の上にあっただろうが)。あるいはその日にあったことを、寝る前に一通り回想してみるとかもいい。その場合は「誰々が何々した」式のほうがいいんだろう。

 

 文章の書きやすさとは連想のしやすさである。小説を書きだすのに苦労するのは、何かひとつ要素を最初に置いたところで、そこから連想できるものが乏しいからだ。「この人物ならこんな風に動くだろう」という発想もそれまで書いてきた行動からの類推、記憶からの連想である。現在を断念した追想から小説を始めると書きやすいのは、小説自体がしばしば連想-回想-追想から多く成り立つからである。たくさんの今ここにないものについて、想像して、連想して、回想して、書かなくてはならない。

 想像-連想-回想は、小説の生理の根元である。

 

 あるいは、これも誰がちゃんと書いたのかは忘れているが、現代小説に認知症的な文体(……というのもなんだか各人によって意味するところがばらばらなので難しいところだが)が頻出するのだとしたら、それ自体が小説の書きづらさの無意識の結晶、とは言えるかもしれない。記憶、正確には記憶の回想能力に関する小説は、しばしば小説についての小説に見える。

 

 桜、猫、電車は認知症のスクリーニングに使う決まり文句であるが、桜・猫・電車と列挙されたところでなにかひとまとまりのイメージを編み上げるのは難しい。自分の中の猫の記憶、桜の記憶、電車の記憶を呼び起こしてみると、「電車に乗って家族で桜を見に行ったことがある」とか「桜の根元で太った猫が寝ていて図々しいと思ったことがある」とかエピソードに繋げることが出来て、これなら(面白さはともかく)小説になりそうである。こればっかりは各人の記憶の性質(あるいは持ち合わせる語彙の偏り)によるだろうが、私は「あそこで見た桜は濃い茜色で、桜色というよりはもっと中国風の力強い色だったなあ」というような記憶はあまりなく(よくわからない例示だけど)どうしても誰々が何々をした式の記憶のほうが多い。

 

 なにかひとつの核となる中心をおいて、そこから派生して連想された言葉を頼りに小説を書くやり方があるとして、たとえば「桜」から「春」「団子」「花見」「入学式」を連想してみる。「春」はあまり役立ちそうにない。「団子を自分で作るのは意外と面倒だった」とか「入学式の日は桜がきれいで思わず立ち止まった」とか「母が花見を嫌がっているうちに雨で全部花が落ちてしまった」とかそういうエピソードの形に変換-連想すれば、小説としてのとっかかりは見つけやすい。何も思い付かなければ自分の話で、あるいは他人の小説なり、映画や漫画なり、ともかく自分の話でないものを回想できたのならそれも小説に使える。もっとも、後者は自分を主語として記憶していないだけで、本当は自分の話なのかもしれないが。

オタクの紅茶史 料理が出来ないオタクが紅茶を淹れるために

 料理が出来なくて部屋が汚いオタクのための紅茶の淹れ方、というよりは端的にここ半年の自分の紅茶の話です。

 

①うちの紅茶の淹れ方

 料理が出来ないオタクというのは一種の病であり、それ相応に最適化した料理をせねばなりません。トマト切ってオリーブまぶしてドレッシングかけるとか、シリコンスチーマーに放り込んで魚焼くとか。私は高校時代に家庭科の課題で自分の台所で料理を作ろう! と言われたときに母親に頼むから絶対やめて!! と懇願された記憶があるのでいまだに火を使いません。使うときは電化。たまにクソ汚いモツ煮を作る。あと部屋が汚ねえ。


 でもって紅茶が好きなんですけど、紅茶、自分で淹れると長年妙に味が薄くて悩んでいて、結果から言うと電気ケトルで淹れたお湯はなんか温度が足りなくてうまく煮出せないっぽいです。バカなのでルピシアのモンポットとか不相応に買いましたけどどんだけ茶葉を入れても薄い! 水温が足りない! あと最近割れた!(クソ悲しかった) というか完全に沸騰し切る前に安全装置で大概の電気ケトルは電源落ちる! なんで電気ケトルはもう基本的にお役御免にして、レンジでポットごと煮ることにしました。そこらのドンキやニトリでも売ってるHARIOの500mlジャンピングリーフポット。あれに適当に茶葉入れて冷水から煮立てる。頭激悪の解決法ですが、なんかこれでようやくまともに紅茶が飲めるようになりました。ルピシア使い出してから約半年の気付き。遅えよ。

 

ハリオ ジャンピングリーフポット 2~3人用 JPP-50

ハリオ ジャンピングリーフポット 2~3人用 JPP-50

 

 
 人それぞれの淹れ方があるでしょうが私は500ml水を入れて、浮き上がって液面一杯に広がる程度の茶葉を入れて、それから700Wで5分ツイッターをやりながら煮立ててます。4分ぐらいからボコボコしてくるので突沸しないよう注意。あとはまた適当に作業するなりなんなりして待ちながら、飲みたくなった頃合いにポット全体を揺らして注ぎます。アフタヌーンティーかどっかのインタビューで抽出用とサーブ用のポット二つ用意して……みたいな記事があっただけど料理出来ないオタクに出来るかそんなもん。放置してたらバカ濃くなりそうなんですがレンジで煮立ってる最中に十分染み出すのか濃すぎて飲めないとかいやこれ出がらしやんって味になったことはないです。料理が出来ないオタク、というか現時点の私に出来る唯一まともな味のする紅茶の淹れ方だと思います。品はない。

 

ルピシアについて
 料理が出来ないオタクは出来ないくせにお洒落っぽいもんが大好きなんで、当然オタクが理解出来る範疇のお洒落であるところの専門店ルピシアには激弱です。ほら……なんかこう……ユメ・オ・レとか、キャラメル&ラムとか、さくらんぼ紅茶とか、バレンタインのチョコレート紅茶とか訳分かんないやつ好きになるでしょ。どうぶつのもりで育ったのであの手の記念茶とかフレーバー付きのティーはもう絶対に抗えません。そしてオタクはあの丸っこいルピシア缶が大好きなのでルピシアガチャをいちいち缶付きで回して、汚い部屋に使い道のない缶が山積みになり仕方なくドリフェス!(サービス終了しました)のカードダスを入れたりする。

 缶を買うのはやめろ。あれは何もいいことないです。邪魔です。ツイッターで綺麗な菓子箱を貯めても何にもいいことなくていつか使おうと思う空白が延々と増えて部屋を圧迫するだけみたいな小洒落たセンテンスを読んだことがありますが、地味で色遣いの上品なルピシアラベルを貼ったルピ缶は最悪です。紙箱みたいに潰せないし、ラベル剥がすのも勿体ない気がしてきてマジで無が発生します。やめましょう。袋で買え。どうせ飲まないやつが山ほど溜まってるんだ、そのままどっか転がしとけ。大いなる邪魔とは理解していても贈り物には重宝します。そこの店の限定銘柄二缶入れて適当に菓子放り込んだらなんか気安い手土産感が発生します。あと缶は一応小物入れとかには便利ですね。有名チョコレートショップの缶を小物入れにしてる患者さんが昔居て、エモいなあと思った次第です。

 紅茶は依存性のある薬物ですので飲みだすと止まりません。夕方以降に飲むとなるとカフェインに弱いオタクは朝まで延々起きる羽目になります。なので買うとしたら普通のフレーバー紅茶(オタクはインドかどっちかの地名~2018ver~みたいなフレーバー付いてないやつは買いません)と、夕方以降用のデカフェかノンカフェイン、あとなんかオタク心をくすぐる紅茶以外の変わり種の茶の三種で、出来ればルイボスティーを後ろ二つのどちらかに入れておくと味が優しくて飲みやすいです。私のオススメファーストチョイスはさっきも挙げたキャラメル&ラム、純粋ヤクです。日本茶はよくわからんので私は薦めない(淹れ方がダメなだけかも)。

 

③マジでやめたほうが良かったやつ
 料理の出来ないオタクがどっかの喫茶店で見かけたフルーツティーを真似るのは破壊的産物を産むのでやめろ。意味不明な果物の煮汁と味の薄い紅茶のブレンドが出来て最悪です。果物の処理も面倒くさい。私はリンゴで試しましたが一生フルーツティーは自分で淹れないと誓いを立てました。
 あと底の深い水出しポットで淹れるミルク出し。お前それ洗浄機もないのに本気で自力で洗う気か?

 

ルピシアは高くて飲むの抵抗あるって人
 ドンキの紅茶コーナーでトワイニングのクオリティ缶を買うといいです。私が好きなのは無難にクオリティのアールグレイで、トワイニングは超有名銘柄ですがまず音韻がいい、トワイニングの紅茶缶ですよ……エモい……。あとクオリティと銘打ってはありますがルピシアと比べると相当安くて、1箱100gなのでいくらでも紅茶の淹れる練習が出来て(そんなもん練習要るのかと思われそうですが料理の出来ないオタクには練習が必要です)しかもスタンダードな味わいなのでいくらでも飲めます。フォションみたいなお高い印象の有名ブランドでも実はルピシアより安かったりします。ルピシアテメーどんだけぶんだくってんだ。エモ代か。ならいい。

トワイニング クオリティ アールグレイ 100g

トワイニング クオリティ アールグレイ 100g

 

 

⑤あるといいもの、なくてもいいもの
 要るもの。
 牛乳。どんなに失敗した茶でもとりあえず砂糖と牛乳を入れれば飲めます。薄いとダメ。
 レンジ。文明。火が使えないオタクに許された唯一の調理器具。
 HARIOのジャンピングポット。料理が出来ないオタクには超便利。淹れ方は上記。
 砂糖。白糖と黒糖両方欲しい、なかなか使い切れないので出来るだけ小さいやつを。料理しないオタクがいきなり砂糖入れとか買って大量にドバドバ入れると悲劇を生みます。絶対いつかそれ台所に落として悲惨なことになるぞ。
 カルディで売ってるドイツ製の味付け砂糖。ツイッターでオタクに受けてたけど実際美味くてどんなにヤバいお茶を入れてもこれだけで救われる。ラムはクセがあるからファーストチョイスには薦めない。アールグレイかチャイ。
 ハチミツ。ちょっとだけあると楽しい。これも小さいのを買う。
 冷蔵庫。牛乳保管用。

 
 要らなかったもの。
 電気ケトル。何個か試しましたが水温が足りなくてイマイチ濃く抽出されません。残念。
 ミルク用のピッチャー。使う必要ないだろバカ。牛乳パックから注げや。ニトリで百円以下で売ってる。
 木のお盆。バカ。やめろ。
 茶菓子用の小皿。バカ。
 ティープレス。バカ。ギュイギュイ押しても別に濃く出たりはしないです。ポットでいい。
 カップ&ソーサー。お前皿洗えねえだろ。そのうち割るので部屋が汚いオタクは耐熱強化ガラスカップ一択です。
 HARIOからワンカップティーメーカー。たぶんジョナサンで使ってるやつ。上の茶漉しの部分無くして謎のガラスコップが単独生成される可能性が非常に高いうえ、茶漉しと小さめのカップの両方細々洗うの意外と面倒臭いので薦めません。

HARIO (ハリオ) ワンカップティーメーカー 200ml ブラック OTM-1B

HARIO (ハリオ) ワンカップティーメーカー 200ml ブラック OTM-1B

 


 ルピシアのティードザール。茶葉を正確に測れるとかいう金メッキの代物でオタク心をくすぐるティースプーンですが、料理出来ないオタクなんかどうせ二杯分とか書いてても謎の直観で三杯分四杯分入れるから役に立たん。
 同じくルピシアから茶漉し。なんかもう頭が悪すぎて普通の茶漉しと、中に茶葉を閉じ込めてお湯を注いだら抽出できる!って球型の二種類持ってたりしますけど普通に茶漉し付きのポット買いましょう。無意味にパーツ増やしても料理してこなかった部屋の汚いオタクはそこら中に部品ばらまくだけです。HARIOのジャンピングポットが優秀なんでそれでいいです。
 
⑥結語
 そんなわけで、HARIOのジャンピングポットと700W出せるレンジ、あと適当な茶葉と牛乳と砂糖があれば料理が出来なくて部屋がクソ汚いオタクでもそこそこの味の紅茶が無限に飲めます。ルピシアは高いけど喫茶店で紅茶を飲むとそんな程度じゃない金が1杯で持っていかれるので、そう考えると相対的には高くないです。ルピシアは気合入れるときに飲んで普段はトワイニングのクオリティとかでも良い感じ。どちらかというとここ半年の紅茶の経歴をまとめただけの話でしたが、そんなわけでオタクの皆さんも紅茶を飲んでください。本読んだり文章書いたりしているときに手元に茶があると、それだけでなんとなく気分が落ち着きます。今飲んでるのはオルヅォチャイのミルク出しで、500mlも牛乳飲んだら腹が痛くて死にそうです。以上です。

 

 あとなんか小説ブログもやってるんでよろしくお願いします

somenotes.hatenablog.jp

今のメギド72にあえて要望するなら

 メギド72は先月の大型アプデで色々もう完成してしまっていて、正直文句のつけようがないです。にもかかわらずあえてメギド72に「こうなったりしないかな」という個人的要望をまとめました。いやもう、基本わがままな要望でしかなく、すでにスタッフさんはかなり働いていただいている感じなので、本当にあえてレベル。

 普段気になってるところは2つだけです。

 

①攻略チケットを使う枚数を指定させてほしい
 1枚か10枚かは極端で、3回ずつ周回する、という風に細かに区切りたい。私は石を砕くのに何の抵抗感もないけれど、それでも手持ちの石が無いときに「もう面倒だから10回全部回る! どうせ他のメギドの素材にも使うんだし」という面倒故の石砕きはなかなか出来ない。たぶん普通のプレイヤーは石を砕くこと自体に抵抗感があるはずで、ただそれでも1回刻みを繰り返すのは面倒なので、2回使う、5回使うというように指定させてくれてもいいかなあと思います。

 

②クエストリザルトのGET!表示を再検討してほしい
 ある程度ゲームが進んで全マップ金星が付くようになると、素材集めについてはもう推せるメギドを一刻も早く☆6にしたい、ただもう時間の勝負です。そんな時にあのGET!が出てくると躓く! お前の欲しい素材取れたよ! という親切サインかもしれないけどいちいちサインしてリザルト表示のテンポを崩さなくてもわかる! 何より今高速周回してるんだ! という気持ちよさが阻害されて勿体ない! なので、あのGET!サインについては非表示可とか、そういうオプションを正直つけてほしいです。


ここから先はわりとどうでもいいです

 

③☆6とそれ以外のキャラ絵・衣装を変更できるようにしてほしい
 いわゆるアスタロト白衣問題」と言われているやつで、星6以上のキャラ絵衣装とそれ以外のときを変えたい、という意見はもうご意見箱に来てそうだけど、確かに正直欲しくはあります。というのは星6以前の衣装もすごく凝ってて大好きなので……(教官、星6もそれ以外も最高だよね)。ただFGOも初期は再臨ビジュアルの変更が出来なかったとか何とか聞くし、意外と内部処理は面倒臭いのかもしれないです。いつか変更出来るようになったらいいなあ。

 

④乳揺れどないするのか問題
 いやこれ難しい問題です……。キャラデの高木さんは女性も男性もプレイできるようなキャラデを目指したって確かインタビューで答えられていた気がしますが、そのわりにめっちゃ乳揺れる。ナベリウスもフリアエ様も揺れる。とにかく揺れる。セクシーかは微妙だけどあの高いモデル力で揺れる。これは苦手な人も好きな人も居るだろうから難しいけど、個人的にはちょっと控えめにしたほうが無難かなとは思います。でも実際ウケてるのかウケてないのかなんか全然わからないわけで、好きな人は絶対居るんですよね。もっとこう上品な揺れ方はないもんか。
 乳揺れON/OFFは無意味に工数増やすだけだろうし、ってか設定の細かいエロゲーかよって感じだし、このへんは「どういう表現がいちばん安全にウケるか」という無理難題なので、色々試行錯誤していただきたいです。
 個人的にはフォロワーが「あの乳の揺れ方は下着付けてなくて痛いんじゃないかってすごく心配になる」つってたのが印象的だった。ブニさんをめっちゃ心配していた。

 

⑤過去イベストを読み返させてほしい

読み返させてください

 

ここからはさらにどうでもいいです


⑥いつか既出メギドがアレンジエネミーとして登場するイベントが欲しい
 いつかです。やるとしても、たぶんずっとずっと先。 
 既に登場済のメギドのスキルや特性をアレンジしたボスエネミーとして再登場してくるところが見たくて、いやメギドクエストで良いじゃん! って話なんですけど、やっぱりあれはレベル上限が設定されている以上見慣れた普段のメギドと変わらないわけで、「いやこんなんどうやって倒すねん…」というアレンジが見てみたい。一味変えたらこんなに強くなりましたよ、というような。WDイベのサーヤ&キュバ吉みたいな。
 たとえばシャックスとか、たとえばブネさんとか、見慣れたメギドが強ボスキャラとして出てきたら面白いなあと思います(モーションの流用も出来そうだしね)。このへんFGOがうまい。これは今時点でけっこう欲しいけど、でも新キャラをイベで売り込んでいくほうが優先なのは当たり前なので、新キャラが出せなくなった頃合いに欲しい。

 

⑦キャラスキンは欲しいけど、たぶんメチャクチャ面倒くさい
 新しいキャラを出しまくられると心配になるのでこう……衣装変更とか良いと思うんですよね! 水着とか!学ランとか!(ソシャゲか?) 1人1人のキャラに愛を注げるソシャゲだし、新規キャラ作るよりやっぱそういうアレンジのほうが楽じゃないですか! って思いはしたんですけど、まあこれ絶対面倒臭いですよね……。私だったらやりたくなくて、既存キャラの新規モデルいちいち作るぐらいなら新メギドのモデル作るし、てか絶対商売にならんし、これはオタクの妄想に留まるレベルでいいんだと思います。五年後ぐらいに欲しい。
 でもフラウロスの水着は楽そう。

 

⑧いつかAIの改善をしてほしい
 パイモンさんをフルオートで使うと女性が1人しか居ないのに薔薇→アタック→また薔薇の悲しいサイクルを(しかも雑魚戦で)こなしたり、ウァプラさんが無限回転したりするので、そのへんちょっとAIの改善が欲しいです。ただあれだけ多彩なキャラクターが居て、しかもパーティの組み合わせでほぼ性能が変わるに等しいシステムで常に最適解を弾き出すようなAIなんか簡単に作れるはずがなくて、フルオートがある時点でも(エネミーのAIを流用してるのかと思いますが)奇跡に近そう。そうなると個別のキャラごとに作らなきゃいけなかったりするのかなあと考えてみたりするけど、ここの改修は(イマイチ地味なわりに)壮絶なコストがかかりそうなので、マジで我儘レベル。
 八年後ぐらいに欲しい(それぐらい続いてほしい)。

 

⑨サントラ欲しい
 みんな言ってる(まあ出すのいろいろ大変そうな気はしますが)

 

 ってここまで人の意見とかも参考にしつつ一応列挙してみたんですけど、基本的にマジで要望がなかったです。いやすごい。ガチャも基本は期間限定がないので「いつか引ける」という希望を延々と持たせてくれるし(結果的にサバトにバンバカ金出させたほうが儲かる気がします)ドブに相当するオーブは強化素材に使いまくれるし、てかオーブ合成のUI改善で育成ようやく出来るようになったけどメチャクチャ楽しいしで……なんか……マジで不満がないことを書きながら再確認しました。そんなところです。

メギド72GWイベ『二つの魂を宿した少年』感想

 メギド72GWイベ『二つの魂を宿した少年』感想です。
 強力ディフェンダーのブニさん無料配布回が終わり、無難にアンドレアルフスさん復刻かな? と思いきやまさかの間髪入れずのシャミハザくん無料配布回。商売する気ある? 大丈夫? といういつものムードです。

 

■新メギド:シャミハザくん、フリアエ様、アラストールさん。
 シャミハザくんはとにかく攻め一辺倒の純粋ファイター。特性のHP75%以下攻撃力UPはベリト様と被っているけど、あちらはめまいとフォトン強奪で敵攻撃を妨害しつつ奥義を2回放つのが前提の性能で、こちらはそういった絡め手は一切なし、自己強化も出来る純粋なカウンターファイターです。運用としては青龍号で滞水→覚醒スキルで攻撃力バフ→奥義→スキルという流れが強い。メインストーリーで仲間になるメギドはカウンターが多く、マルコシアスさんはともかくシャックスは火力がちょっと弱めなので、滞水を揃って活かせる電撃系ファイターを用意したのだと思います。
 ブニさんがアバドンのような連撃はなかなか辛いガープを補う存在として用意されたように(と勝手に思っていますが)たぶんシュミハザくんもシャックスを補う存在として作り上げられたんじゃないかな。性格もメギドの男には珍しい素直な好青年で、そういう意味でも初心者向けという印象です。これからメギドを始める人が楽に攻略できるように、というコンセプトで作られたとしても、お手軽にダメージを弾き出せるメギドなのでフリバで使うと楽しい。

 フリアエ様はスキルでまさかの前列防御1回無効というトンデモ性能。ホーリーフェイクの使い道がないやんけ! カミバカリフォラスが現時点でやたらめったら強く、しかもカミバカリはガチャ産SSRなのでナーフし辛い現環境だと、サバトで引きやすいフリアエ様を用意した意義は大きそうです。ナーフで調整するとどうしてもユーザーの不満を買うので(特にメギドはキャラへの愛着を生みやすいので性能を下げるのは危険です)同じぐらい強い、でも微妙に運用感の違うメギドを配置する手腕は相変わらず手堅い。フリーバトルではカミバカリフォラスはかなり強いですが、1ターン1回しか使えない以上、メインストーリーだと集中攻撃でどうしても落ちやすい。そこを連発出来る性能はかなり魅力的で、フリバでもパイモンのような単発アタック連続系に対しては特に強そうです。
 マスエフェクトも強い! カウンターファイターの覚醒-1はシャミハザくんとも早速かみ合いますが、特に強力なのはガミジンさんとの組み合わせでしょう。覚醒ゲージ4でバニーフォラスやラウムで支援してしまえば1ターン目で超強力な列攻撃奥義を放ててしまう。アガリアレプトさんの開始時覚醒ゲージ+2で1ターン目からハルファスの奥義を撃ててしまうことを考えると、(意図してかはわかりませんが)もしかすると「強さの調整には同系列の、だが微妙に性能の異なる要素をぶつける」というやり方なのかもしれません。でも意外とまだフリバでは見かけない。
 覚醒スキルの氷結も意外に便利な地形効果だし、奥義も列回復+攻撃バフ、さらには放置してても勝手にスキルフォトンを獲得してしまうので置物にしても有用、とかなり隙のないサポーターです。これを普段のPUガチャではなくサバトで広く提供してしまうあたりがメギドらしい。

 アラストールさんは特性で毎ターン覚醒+1, スキルで初手から攻撃力低下、覚醒スキルはマルコシアスさんと同じくめまい列攻撃と便利そうなサブアタッカー。特に初手から攻撃力を下げられるメギドは貴重では。奥義はまだ未開示ですが、メギド体みたいに全体感電だったらさすがに強すぎるかなあ。いずれにせよ実装が楽しみです。

 

■シナリオ
 シナリオは相変わらず爽やか! シャミハザくんは癖のない好青年だし、フリアエ様は面白サイドの住人とはいえ基本は真っ当な裁判官だし、アラストールさんは悪役とはいえ憎み切れない姉御肌が光ります。飛行物体を打ち抜くシャックスは格好いいし、最後は何もかも丸く収まってハッピーエンド、と幕間のサブイベントらしい読み易い話。ソロモン君の善人ぶりも光ります。そしてガギゾンくんは早くアジトに来てほしい、教官とフリアエ様とマルコシアスさんがお前を待っています。

 

■オーブ
 ついにオーブ育成のUIが改善され(素晴らしいです)メインシナリオ4章まで一切オーブを進化させなかった私もガンガン強化出来るようになりました。とにかく目に見えて強化されていくのが楽しい! メギドのオーブは単にステータスを上げるだけではなくて自由に取り換え可能なスキルコマンドでもあるので、オーブの強化はそのまま推しキャラの強化に繋がる楽しさがあります。まさか4章終わったところでこんな楽しみを発見するとは思いもしなかった。
 そしてイベント限定オーブを集める大変さ! 無限ボーデンヴォルフ狩り、初手邪魔なんだよを連発しているウァプラさんの目の荒みぶりがさらに悪化しそうです。たぶんこれまでのイベントもバブルヘッドやキラーレディを集めるのキツかったんだろうな……。でも実際青龍号を1体レベマにするのは楽しかったので、復刻されたら是非サタニックリブラやピローヌやグラディエイターを強化したいです。
 
 今回の目玉はまずはSSR青龍号
 単体ダメージ強化もシャミハザくんの能力とマッチして強力ですが、しらぬいなど普通は3ターン費やす滞水を2ターン目から放てるのは強い。2ターン目で滞水させて、シャミハザとシャックスで速攻で攻め抜いていく、という戦略が取れるオーブです。もはやカウンターのラッシュ化。
 SR暴龍ガルグイユは2.5倍感電ダメージと、カウンターのRオーブを彷彿とさせるようなバーストオーブ。2.5倍感電ダメージはシンプルに強力なので育成の価値はありそうですけど、すでにグラディエイターという超強力ライバルがいるのと、犬狩りがあるので活躍の機会は難しそうかな。一方SRエクセネイターは赤月の残党兵長と同系列の4連撃オーブ。威力がわずかに上なのと、特性が反撃なのが細かな違い。赤月の残党兵長はHP+10%以上upと汎用性の高い特性があり、やっぱり無限犬狩りが必要なので使いやすいとは言いづらいですが、同系列でもこういう細やかな違いがあると使い分けをつい考えたくなって楽しいです。
 Rバーデンヴォルフはまさかのヘルハウンドと同性能なのに威力が2倍→1.5倍に落ちるという使い道皆無の完全素材用オーブ。大幻獣特攻とかならまだしも飛行特攻だと(確かに対象の敵は多そうですが)あんまり使い道ないかなあ。SSRジェルスペクターも同様で、カウンターの死者特攻は珍しそうですけど既にキマリスが居るし、列2倍はちょっと地味。アラストールさんが使っているみたいに全体スキル強化があったら面白そうでしたけど、やっぱりそれはキマリスやフォルネウスとの兼ね合いを考えると難しそうです。これも個人的には素材用かなあという印象。
 1-4無限バーデンヴォルフ狩りは、ヘルハウンドの金箱を簡単に出せるプレイヤーなら旨味は全くないですが、おそらくは初心者向けを考えたのだと思います。正確なカウントはしていないですが、ほかの強化素材オーブは概ね蝶の交換で足りそう。ぜひメギドを始めたての人には青龍号をレベマにしてもらって、シャミハザ君を活躍させてほしい、というメッセージなんじゃないかと思っています(勝手に)。

 そして新たにレアエネミーのレアドロップ、というハードルの高いオーブとして登場したのがSSRデューク。入手難度は高いけれど、毎ターン回復15%は超魅力的! 20%以上であればフリバのバティンさんの立つ瀬が無いので絶妙な値です。覚醒スキルが強力な分奥義はなかなか放ちにくいマルバスに是非持たせてあげたいです。
 というわけで、毎日地獄の犬狩りと猫探しを繰り返しています。そろそろアジトが獣臭くなりそう。

 

■周回について
 今回から新たにレアエネミーのレアドロップ、というイベント固有のエンドコンテンツが設定された形です。一方でネリさんという別のレアエネミーも設置して、記憶の欠片をばらまく形式。記憶の欠片はガチャを回した人間ほど数が欲しくなるアイテムだし、紅水晶の原石や抜け殻といった貴重な素材も用意して、一個の目標を狙いつつも副産物が美味い、そんなEXマップを作ったのはさすがメギドだと思います。目標が一個だけだとどうしても気持ちがすり減りがちなので、セットのご褒美があるとモチベーションが保ちやすい。
 ただやっぱりレアエネミーの出現頻度が低い! そのうえレアドロップの排出率もかなり低いので、せっかく苦労して倒したフリアエ様から蝶や記憶の欠片が出てくるとガッカリ感は半端ないです。せっかくフリアエ様とのバトルも熱いのに惜しい! とはいえここは調整の難しそうなところで、紅水晶の原石や抜け殻はデュークを狙うぐらいの人だと塔でサクサク集められるようになっているので、周回する人ほど旨味が少なくなるのは仕方ない。全員に役立つようなエンブリオ幼のドロップ率は相変わらず低めなので、ここを調整すればあるいはもっと周回しやすかったかなあ。あとは、塔で出ないゴールドオイルもレア素材に配置したほうが良かったんじゃないかな、とか。
 レアエネミーのレアドロップって発想はコンシューマーっぽくて楽しいのですが、もうあと一歩欲しかったのが正直な感想です。初回だし、これからまたいろいろ変わっていくんじゃないかと思います。
 ただ、今回初めて周回してショップも全部交換し切って、やっぱりメギド72は楽しいゲームだなあと。戦略性に富んだゲームなのは今更言わずもがなですけど、オートで周回出来るパーティを頭使ってなんとか組んで、それで延々周回させていく、という遊び方も楽しみのひとつ。微妙にへっぽこなAIの動作を読みつつ、適当に放置しても安定してアラストールさんを倒せるパーティを組むのは興奮しました。とりあえず教官はオートではクビです(ごめん)。

 

■そんなわけで
 相変わらず楽しいゲームでした。メギド72は組み合わせが物を言うシステムである以上、新しいメギドやオーブが追加されるとそれだけで戦略のバリエーションが増える、その都度面白さが加速的に上がっていく凄いゲームです。これからもプレイヤーが増え続けていってほしいです。

文学のサービス終了(ドリフェスの死から1か月経って)

 ドリフェスのサービス終了が告知されて約一か月が経った。別にソシャゲに限らず終わらないものはないわけで、物事の終わりについていつまでも野放図に語り続けるのは私はみっともないと感じる。特に私は抑制、筆を抑えることが持ち味の作家が好きな分、喪失についての抑制の利いていない語りというのは肌感覚として受け入れ難い(私のなかでは須賀敦子とか津村節子とかである)し、自分で書いていてもどうかと思う。が、色々と雑感はあるので、とりあえず書いておく。ちなみに他人の批判とかではない。

 

 どう考えてもよくわからないのは、言ってしまえばソシャゲのサービス終了ごときにここまで感情を費やせる自分である。端的に人間の死に匹敵するようなものを感じてしまった、その理由である。
 これはどう考えてもおかしい。
 いくつか比較して考えてみる。たとえばコンシューマ型の売り切りのゲームだと、最初からソシャゲのようなデータ更新は無い。あるいは小説だと、私が読む小説の作者は大概死んでいるので、これ以上の元々のコンテンツの更新というものはない。私は別に作家が死んでも大したショックを覚えない。ある優れた大学教授の作家が逝去したとき(稲葉真弓という優れた作家です)その教え子である友人がひどく悲しんでいて可哀想だな、とは感じたが、私自身としてはその人の死になにか感じるところがあるわけではなかった。個人的な付き合いがあるわけがないし、まず著作を全部読み切っているわけではないから今後の著作目録が更新されようがされまいが別に影響はない、と無理やり理由をつけることは可能なのだろうが、とにかくなにか近所の人が死んだ、というぐらいの感情の動き方しかなかった。
 たぶん私が好きな存命の作家、たとえば津村節子なんかはそのうちに亡くなられるだろうと思うが、だからといって何か感情が動くかというと、おそらくない。それで傑作『紅梅』や『星祭りの町』が読めなくなるというならたぶん名残惜しい気分にはなるだろうが、手元に本は残っている。

 

 私が知っている人間の死を体験したのは一例だけで、文芸サークルに所属していた先輩が自ら命を絶ったことがあった。同じ場所に属していた人間は全員がそれぞれのショックを覚えただろうし、私は混乱して、小説をやっていると人間は死ぬんだな、とよくわからない結論に至った。ちょうど小説で色々あって鬱屈していたのもあって、それを勝手な理由にして小説を投げ出していた時期もあった(資格試験が近付いていたという状況もあったが、難度から考えるとあまり大した理由とは言えない)。
 一応は医療従事者である。ちゃんと担当していたと言える方が亡くなられたのは三例。うち一例はそれなりに言葉を交わさせていただいたこともあって気分が重かったし、うち一例は後悔もある。
 人の死とたかだかコンテンツの更新終了を同列に語るのは私は冒涜であると思うし、ここまで書いてきてやっぱり後者に対して「死」という言葉を当てはめるのは絶対におかしいと感じる。が、にもかかわらず、何かしら後者に前者へ通じるものを覚えてしまったのも(非常に不本意であるが)確かだ。その先輩が亡くなられた時にも思ったが、私は自分が想像しているより冷静でないときがずっと多いんだろう。

 

 ソシャゲの「死」とは第一に更新終了であり、第二にアプリの使用不可だろう。
 データが更新されなくなってもアプリがアーカイブとして残るのであれば何らかの記憶の端緒として残り続ける。作家が死んだところでその著作が手元に置いていればなんとなく死んだ気はしないし、別に死んだところでどうでもいいとすら思う(私が好きな批評家の秋山駿は、死に際に非常に優れた本を書いていたりするし)。何の記憶かというと、ソシャゲの更新を楽しんでいた過去の記憶である。
 ソシャゲはそれなりに人の人生の一部分に食い込むわけで、最初からそういう時間感覚のもとで作られている。ソシャゲのサービス終了とはそのような遊びの時間の終わりでもある。更新が終わったところで手元に記憶を遡れるものがあれば死んだ気はしない、あるいは昔の作家のように最初から死んでいれば更新は自分が読んだ分だけ成されるのであって、大概の作家は全著作まで読むには至らないので、要は作家なり小説なりは永遠にサービス終了しないのである。文学はサービス終了しない(書いてて思うが馬鹿過ぎる)。
 記憶だけでは、記憶の更新はない。大切なのは記憶を遡りうる紐なんだろう。私はその先輩が死んでからいくつかその人との思い出を書いたが、思い出すところはいつも同じ情景ばかりだし、たぶんこれからもそうに違いない。都合のいい勝手な解釈を避けようとするならば、どのみち記憶というのは同じ部分ばかりを反復する羽目になる。小説は読むたびに印象を更新し続ける。たとえ作家の著作を全部読んだところでまた見返せば印象の更新なり新しい発見なりはあるわけで、むしろそこで「もう読んで大体わかった、こいつはこういうやつだ」と思い見なしてしまった時点がその作家の(読む側の問題なのだが)サービス終了だ。
 「まだここには何かがある」という予感が文学のサービスを継続させる。実際、どう読んだっていい加減なことしか書いていないような著作家でも何となく凄そうに見えるのは「ここには何かがあってほしい」という漠然とした期待である例が多いだろうし、またそうした予感を文体に漲らせる作家というのは、読んでいて興奮してしまう。小説なんて所詮とか、思想なんて所詮とか、そうした予感を捨てた要約に入り込んでしまったとき、その人のなかで文学はサービス終了しているんだろう。

 

 要約とは要するにこういうことでしょう、という無意味な先読みである。実際はしばしばその先読みは外れていて、要していない微妙な部分にこそ肝心な更新がある。私の好きな批評家の山城むつみは、しばしば「この違いは微妙だが重要である」というレトリックを使う。微妙な差異のうちに重要な何かを読み続けられるところに山城むつみの読みの熱量はあるし、また小説を書くうえでも、この微妙な差異にどれだけの喜びを感じられるかが、熱量の維持範囲を決めるのかもしれない。

 

 「いつも同じ展開ばかり」と感じるようになればいくらソシャゲでも飽きる。そういう反復を避けるために、毎回少しずつ趣向を変えて新しい展開を出し続けねばならないのがソシャゲの大変さかとも想像する。文学はそもそも人間が書いていて、老年ならともかく青年から中年期というのはそれなりに変化の連続なので、小説というのは本当に(あまりに当たり前ですが)書くごとに更新がある。書いていて「あ、これは前にも書いたやつだ」と思っていても何かしらの微妙なアップデートがあるべきだと思うし、それが無ければ小説なんて書いていられない。
 
 私は小説にはそれなりに普遍的な技術論があって然るべきと思ってそういうものを考えたし、その真似事めいたものを書き継ぎもしたけれども、書いたところで何となくそれを使う気にならないことが殆どだった。小説を書くための道具作りは、それ自体が小説にでもならない限りあまり書く上での面白さはない(読むうえで明晰に見通す楽しさはあるだろうが)。また繰り返し使うモチーフがある。お茶を飲んだり電車に乗ったりすると小説が進みやすい。ある程度の反復、使いまわし、マンネリは誰が小説を書くうえでもあるだろう。が、そこには必ず「微妙」な差異がある。そこを自分で嗅ぎ付けられるかどうか。あるいは「これは一見今まで書いたものと同じようだが、けれど絶対的に違う何かがここにある」という確信を持てるかどうか。
 ただまあ、今時そこまで「文学」と呼べるものを信仰するのは時代錯誤だろう。私はいつまでたっても文学的な趣味趣向を捨てられないところがあって、(こういう文章自体がそうだが)どう考えたって馬鹿馬鹿しいし、人に自慢出来る趣味でもないし、またそうした劣等感を裏返してやけに人に大きく出たり文学の重要性をでっちあげてみたりする体力も無い。津村節子須賀敦子山城むつみも秋山駿も稲葉真弓も話に出したら「誰だよ」という顔をされるに決まっているし、別にそれでいい(というか知ってる人間のほうがたぶんおかしい)。文学と政治を連続させられる気力もない。あらゆる意味で私は幼稚なんだとは思うし、たかだかソシャゲごとき、と自分で言い捨ててるのはあんまりにもあんまりなのだが、に「死」を感じてしまうのもそういうところかもしれない。ソシャゲの話から小説の話に連続していくのもそうだろう。

 

 売り切り型のアプリと、更新の終わったソシャゲでどう違うのか。私はよくフィクションの続編や書かれていない日常の細かな描写を想像するのが好きなので、そういう妄想の遊びを売り切り型のコンテンツで繰り返してきたのだが、ドリフェスでそうした勝手な補完をする気があまりしない。少なくともサービスが終了してからはあまりしないだろうと思う。この差異がどこから来るのかはよくわからない。
 
 ただ、人間は仮構にそこまで入れ込めるのか、というのを自分で体感したのはちょっと驚く経験だった。2.5次元コンテンツは私小説に通じるところがあって、基本は仮構/フィクション/2次元なのだが、ベースの一部に現実/伝記的体験/3次元が含まれている。私は2次元としての黒石勇人が好きだったので別に3次元のキャストはどうでもいいかなあとすら思っていたのだが、たぶん、2.5次元としてのそういう性質に、予想外に親和性があったんだろう。ただそれを差し引いても、自分がそこまでフィクションに没入出来て、しかも「死」を感じられるのは衝撃だった。他の人がそう感じていても当然に他人の自由だが、自分に対してはちょっと困るというか、戸惑う。これは私の感性の問題なのかもしれないし、あくまで仮構でしかないキャラクターにそこまでの「命」を吹き込んだ、プロジェクトのよくわからない力なのかもしれない。


 自分が私小説を読んでいて、とっくに死んでいるはずの作者を「生きている」としか思えないときがあって(もはやこんなんオカルトである)たぶんドリフェスにおける「命」とはそういうものに近かった。
 自分とは全然遠い、ほとんど架空のフィクションの存在に近いような死者が、にもかかわらず自分のすぐそばに居るような理解不可能な錯覚がある。自分が視ているとしか言いようがないような、しかし言葉にするならば妄想と呼ぶしかない知覚、距離がある。そういう感覚がある限り現実の作者が死んでいようが生きていようがどうでもよくて、こういうのを「生きて」「いる」と称するのは言葉の誤用でしかないのだが、やっぱり文学はサービス終了しないんだなあ、と直感的に感じてしまうし、小説は人間の生命の再生装置なんだと、わりにありふれた結論で、何の話をしたかったのかわからなくなってきたが、そんなところだ。